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武州砂川天主堂 №16 [文芸美術の森]

第五章 明治六年 2

         作家       鈴木茂夫

 六月七日、フランス・パリ・外国宜教会大神学院。
 三十人の神学生が、司祭に任じられ、厳かに叙階の式典が行われた。その式典が終わると、それぞれに赴任先が告げられた。日本要員は、七人である。
 ルブラン、シユテル、ラングレー、テストヴィド、レゼー、フォーリー、プロトウランド。
 ジェルマンは、うれしさに興奮していた。かねて抱いていた日本への想いが、今こうして現実になったと、自らに言い聞かせていた。掘りしめている両手が汗ばんでいる。
 いつしか、日本へ派遣される七人は、一つの輪となり、お互いの栄誉を視福しあい、伝道の未来を語り合っていた。とはいえ、誰も日本について、具体的なことは知らない。ただひたすらに自分たちの若さと、信仰の火を燃やして、道を照らしてゆければよいと思っていた。

六月三十日、フランス・パリ市内。
 パリの空は、抜けるように澄み切っていた。
 朝の礼拝を終え、ジェルマンは、独りで街へ散歩に出かけた。バック通りから、セーヌ川の河岸まで足を伸ばす。並木が緑を濃くして、そよ風に揺れていた。
 きょうがパリ在住最後の日である。二年前、信仰に生涯を捧げ、自らの命をアジアの地に託すと誓いを立てて、大神学院に転校した。今、その学舎を巣立ち、日本へ向かう。きょうはその壮行式が行われる。それは、思い出多いパリとの別れの日でもある。
 白い雲が一つ、二つと影を落としている。ロワイヤル橋から見下ろす川面に、陽射しが無数にきらめいて流れていく。    
 在学中、何十度となく、この端を渡り、橋の欄干に手を置いて川面を眺めたことだったろう。ジェルマンはそっと欄干を撫でた。陽光に温まった欄干の温もりが、掌に伝わる。十七世紀末に掛けられたこの橋は、百年の風雪に洗われても、端正な姿を保っている。
 橋の中程に立って上流に眼を転じる。左手には、ルーブル王宮、その手前には、二年前の一八七一年、パリ・コミューンの蜂起の際、炎上したチユイルリー宮殿が黒こげの廃墟となって無残な姿を晒している。
 パリ・コミューン…。民衆の決起と激動の七十余日、その記憶は生々しい。パリは揺れ動き、傷つき、変化した。川の正面には、カルーゼル橋、芸術橋を隔ててシテ島が、水の流れを二分している。シテ島の住民約二万事大が立ち晋を命じられ、そこに兵営や病院が建設されたのは、つい先ごろのことだ。
 ジェルマンは、十字を切ってサヨナラした。セーヌのいつに変わらぬ流れに…。

 午後三時、大神学院の鐘楼の鐘が高らかに響き、壮行式の開会を知らせた。
 パリ外国宣教会本部の、最も崇高な儀式である。聖堂に音楽が流れる中を、教授と神学生百数十人が入場。所定の椅子に着席した。ついで、第二回日本派遣の七人の新司祭が、中央通路から祭壇に進み、跪(ひざまず)いて祈りを捧げる。終わると祭壇の前に立ち、堂内の学生・信徒に顔を見せた。
 長老のシュワルツ司祭が演壇を前にして、
 「諸君は、このたび司祭に叙階され、」日本へ覇権される。おめでとう。私も、諸君と同じ年頃に、中国に派遣され二十数年を伝道に明け暮れた。私は一人の先輩として、諸君に訴えたい。祖国を旅立ち、終生を異国の伝道につくすということは、天に召されるその瞬間まで、十字架を担うことを覚悟しなければいけない。諸君の前途に、どのような困難が待ち受けているかは、はかり知ることができない。悲哀と苦痛にさいなまれることの、いかに多いかは、私も体験した。とはいえ、悲哀と苦痛とは、決して肉体のそれではない。拷問や極刑によるのではない。むしろ自分が同じ人間同士、兄弟姉妹である無数の未信者を救済できないということによってである。神の声に耳を傾ける人が、一人生まれると、そのかたわらには、神を信じない数万人がいる。アジアの人びとに、神の福音を伝え、真の信仰に目覚めてもらうのは、容易なことではない。なぜ、人びとは、神を受け入れないのだろうと苦悩する。苦悩せずにはいられなくなる。これが、私たち海外宣教師の最大の悩みとなる。だからといって、諸君は失望してはならない。このような時にこそ、神の御心(みこころ)に従わねばならない。諸君は、イエス・キリストを真っ直ぐに見つめ、その導きによりひたむきに歩かねばならない。諸君は『巡回牧師(ミッショネール・アンビュラン)』と呼ばれる。『巡回(アンビュラン)』とは、主の僕(しもべ)として、主の御心に従い、その後をどこまでも歩いて行くことを指しているのだ。私は、諸君が自らの足で、日本の国の隅々まで歩き回り、天国への道筋を明らかにすることを祈る。

  よろこびの音信(おとづれ)をつたへ平和をつげ、
  善きおとづれをつたへ救(すくい)をつげ、 
  シオンに向かひて汝の神は
  すべ治め給ふというものの足は
  山上にありで美しきかな
          (旧約聖書・イザヤ書第五十二章第七節)

 この言葉をはなむけの言葉としたい」           
 長老は、七人の一人一人に手を差しのべ、祝福を与えた。長老の瞳が潤んでいる。
 席にある全員が起立した。シャルル・フランソワ・グノー作曲の『旅立ちの歌』だ。

  われは行く神の道を神の御名を称えつつ
  適かなる異国の道足が刻む神の御名
  友と行く神の道はわれらの足が生み出す
  果てもなく歩く伝道故郷に別れを告げ
  もう帰ることはないと 心に誓う

  旅立つ時が訪れ いざ行かん異国の道
  マリアは一つの星だ マリアマリア愛の母
  星が示す道筋を ひたすらに歩いて行く
     友と行く神の道は、汚れなき愛の小路
  果てもなく歩く伝道 故郷に別れを告げ
  もう帰ることはないと 心に誓う(拙訳)

 聖堂の会衆は、この歌を繰り返し、繰り返し歌い、祭壇の前へと進む。起立している七人の前に、跪いてその足に接吻し、立ち上がって次々に七人を抱き、その壮途を祝うのだ。
 ジェルマンの両親が、手を取り合って歩いてくる。手にした数珠が細かく震えていた。父母は、息子の足をしっかりと抱き、
 「神さま、私たちの息子をあなたに捧げます」
 と祈った。父の声と母の声が重なってジュルマンに届いた。立ち上がった両親と固くジェルマンを抱擁し、その額(ひたい)に祝福の接吻をした。三人の瞳が、一つに結ばれ、無数の想いが交錯した。両親が去ると、ジェルマンは天井を仰いだ。天使たちに囲まれた聖母マリアの眼差しは、まさに母のそれと同じだった。
 式典は終わり、七人は衣服を改めて、旅支度も那毒会計係から日本での必要経費を受け取った。
 七人は、本部を出てリオン駅から夕刻発の汽車に乗った。
 南へ八百六十二キロ、ひたすらに汽車は走る。ジェルマンは、列車とほぼ平行して流れるローヌ川が、闇の中に沈んでいくのを見つめていた。やがて目をつむる‥…。

『武州砂川天主堂』 同時代社


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