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山猫軒ものがたり №4 [雑木林の四季]

蛍の光、まむしの日 2

           南 千代

 二、三日降り続いた雨が上がり、蒸し暑い日暮れどき。夕食は庭で食べることにした。庭には、夫が造った大きなテーブルが置いてある。造ったといっても、ふたつの大きな丸太を足にして、その上に厚い天板を乗せただけのものである。
 雨で地面がぐちゃぐちゃの庭を、すべらないよう用心しながら皿や燭台を運ぶ。蚊とり線香もここでは必需品である。食事をしながら森を眺めていると、闇の中から生まれている幾筋もの光の糸に気がついた。
「ねえ、あれ。もしかして、蛍じゃない?」
「ほんとだ、見にいこう」
 裏木戸を開けて土手からあぜ道を下ると、あたりは二面、蛍の海。見とれながら歩いていたので、ぬかるみに幾度も足を踏み込んでしまった。
 蛍をこんなふうに見たのは、いつのことだったろう。幼い頃に、家の庭でよく見かけたことすら、忘れかけていた。私たちは、ずっと林の中に立ちすくんでいた。
 翌日、やってきた大家のばあさんに、昨夜のことを話した。
「ここにはまだ、蛍がたくさんいるんですね」
「蛍がめずらしいんかい」
 と、ばあさんは笑い、続けて言った。
「だけんどが、用心しねえとな。まむしの目が夜に光ると、蛍そっくりだ」
「え、まむしがいるんですか」
「いるに決まってらあ。夜、たんば道をふらふら歩いてると、知らねえで踏んづけるべ」
 それから十日ほどの間、蛍は飛び続けたが、私たちは庭から眺めるだけにした。しかし、蛍は時おり庭や家の中まで飛んできた。灯りを消した部屋の中で、ふわふわ泳ぐように光の糸を紡いだり、蚊帳(かや)にとまり、ほう、ふう、と静かな灯りの吐息で眠りに誘ってくれたりもした。

 ヤマユリが薮の中で長い茎をしならせ、垂そうに白い大きな花を揺らしている。この花が咲く頃、近くにある浅間神社の夏祭りが行われる。私もとんぼの絵のゆかたを着込み、赤い帯を締めて下駄をはき、夫を誘って出かけることにした。
 いつもは忘れられたように、山の中でひっそりしている神社の周囲に車が何台か停まり、金魚すくいやりんごあめ、ウルトラマンのペカぺカしたお面を売る露店が、二、三軒並んでいる。こどもたちも走り回っている。さして広くない境内には、社の真向かいに、にわか造りの舞台が建てられて民謡の踊。や歌謡曲が披露されていた。マイクの調子がよくないのか、時おり、昔がキイーンとうなっている。
 祭りの世話係りらしい、白い割烹着をつけた女の人たちが、集落の人々に酒や肴をふるまっている。参拝をすませたあと、見物席に座って舞台を眺めていると、酒と煮物をすすめられた。
「今度、下のカサクに来た人だろ」
 カサクとは、貸家のことだ。
「ああ、あんたたちが、南さんかい」
 ほとんど知らない顔ばかりなのに、向こうはよく知っているようだ。山猫軒から谷を上がると四軒の家があり、そこから車道を行くと、小野路の街道沿いに集落が並ぶ。私たちは、ここに越してはきたものの、個人的にご近所とつきあうことはあっても、一軒の家としての地元づきあいはしていなかった。
 越してきたとき、大家に相談した結果、
「カサクじゃ、そこまでやる必要はなかんべ」
 と言われ、谷の上の数軒の家にあいさつをしただけですませていた。
 これは、私たちの希望に関係なく、組の共同作業や社会行事には参加する必要のないことを意味している。大家が組づきあいをしているので、いわゆる店子はしなくてもよいのだ。
 組のつきあいである祭りへの寄付もせず、酒や肴をごちそうになってもよいものかどうか、一瞬迷ったが、それはいかにもおいしそうだったので、私はいただくことにした。
 私が手を出してしまったので、夫も受け取った。コップ一杯ずつの酒と、カボチャやインゲン、サツマアゲを甘辛く煮たものだ。煮物は、九州の実家の母の味を思い起こさせた。
「おいしいね、これ。おかわりをもらってこようか」
 食べながら私がそう言うと、何ごとにも謙虚な夫は、
「少しは、遠慮というものを考えなさい」
 と言った。
 私たちは、うまいだの下手だのと言いながら、しばらくのど自慢を愉しんだ後、金魚を二匹すくって帰った。金魚は、山猫軒から三十メートルほど離れた場所に立つ千年杉の池に放した。
 後で図鑑で調べてわかったことだったが、大きな木なので名づけた「千年杉」は、実はサワラの木である。しかし、この名はそれからもずっと、そう呼んだ。
 木の根元には、小さな池が湧いており、金魚を放してからは、毎朝この池で金魚の姿を見つけるのが楽しみになった。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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