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地球千鳥足Ⅱ №10 [雑木林の四季]

ケープタウンの寿司は美味だった
  ~南アフリカ共和国①~

      小川地球村塾村長  小川律昭

 喜望峰に行ったら、風の強い海岸線を散策するか高台の見晴らしのよいケープ・ポイントで旅情を味わうかだ。地球の最南端ともなれば殺風景な地の果てだ。喜望峰を有名にしたのは、歴史的に冒険好きなヨーロッパ人の航海術の成功であった。15世紀希望と期待の中でポルトガル人、ヴアスコ・ダ・ガマはインド航路を発見した。その記念に「嵐の岬」が「喜望峰」と命名されたという。時代は変われど先輩たちの夢は歴史に生かされてきた。それが人類のさらなる夢に引き継がれて今に至る。当時の未執萎技術に頼る航路を想像すれば、原子力の災いなど克服するのが人間としての責務だろうと思う。
 アフリカ大陸最西南端の喜望峰Cape Hope。大陸の実際の最南端は150キロ東南のアグラス岬だが、アフリカ最南端の代名詞になっている。私は12年前にも喜望峰を訪れたので今回は再訪である。12年前ピースボートで来た時に利用したバスからは海岸傍の喜望峰を見た。今回は灯台のある高台のケープ・ポイントに着いた。ケーブルカーを利用せず高台まで歩いて20分だった。あいにく霧がかかり眼下に喜望峰は見えなかったが、白砂の小さなディアス・ビーチの先に突き出しているのが喜望峰だと聞き、想像するしかなかった。前回喜望峰に行くバスに乗ったつもりだったのが行き先を間違えたようだと今回の再訪でやっとわかった。ケープタウン市内の観光の呼びものはテーブル・マウンテンだが、現今はウオーター・フロントが人集めの役を買っている。言うならば近代的なモール街だが、かつては南アフリカの特産品を紹介する場所であり、白人社会が考え出した典型的な場所だろう。
 南アフリカ共和国と言えば独立国を意味し、黒人社会を想像するが、実際に開拓したのはヨーロッパ系白人たちだった。黒人たちには農、鉱業の奴隷として働き、自人たちを支えてきた歴史があり、独立国となっても根幹の経済は自人たちが握っているようだ。人口比で白人が20%を占める国はアフリカでは他にない。ワイナリーを見学したが経営者の多くは白人だった。そして販売に協力しているツアー会社も白人だった。畜産、ワインの生産、ダイヤモンド、金鉱石の発見等でアフリカの富を得るようになった白人たちは自分たちの国として南アフリカを支配したのであった。国が独立したとはいえ黒人の多くはまだ白人の支配下で働かされているのが現状のようだ。失業率50%以上、当然治安は悪い。首都ヨハネスブルグの空港は広くて近代的、ヨーロッパ諸国に劣らない機能を持つ空港だが、係員らしき人に案内してもらったらチップを要求された。セキュリティーに問題が多い空港だ。
 新しく訪れる街では私はよく寿司バーに行く。日本が懐かしいわけではない。長く住む日本人が振っていることが多く、街の見どころを聞くのに好都合だからである。ところが最近はシェフが東洋人の顔をしていても日本人ではないことが多い。寿司の普及が日本人以外の寿司職人急増に拍車をかけたのだろう。白人も多い。たまたま「フジヤマ」は21年前に住みついた沖縄出身者の経営だった。ケープタウンの物価高を語り、観光地化と共に住みにくくなったと嘆いていたが、「今晩は日本からのツアー2組が予約しています」とまんざらでもなさそうだった。我々夫婦が食べている最中、日本人がどやどやとやって来た。シニアが多かった。日本は震災その他で景気低迷と言われているが旅行熱は衰えていないと感じた。ある年齢になってからでも異文化の歴史や暮らしを知り、世界観を深め、楽しんでほしいと思っている私は、このグループに語りかけ、人生訓を語り、共鳴者を得た。
 南アフリカや南米に出かける人たちがどんどん増えることを願っている。虐げられた黒人社会や厳しい自然環境のもと生活しているインカの人たちにも関心を向け、日本の生活環境と比較し、地球人として共生社会意識を高めてほしいと考えている。「旅行イコール・ヨーロッパ」、「コストで選ぶアジア」、「名だたる都市での買い物ツアー」等ほどほどにして、地球上の人間遺産に接し、彼らの暮らしに想いを寄せ、グローバルな視野で次の行動を見つけてほしいと願っている。       (旅の期間‥2011年 律昭)

『地球千鳥足』 幻冬舎



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