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山猫軒ものがたり №3 [雑木林の四季]

蛍の光、まむしの日 1

           南 千代

 永は、裏にある井戸から電気ポンプで汲み上げ、台所の蛇口に引いてある。夫の願い通り、冷たくまろやかで、それでいてシャキッとし、おいしい水だった。
 しかし、ある日。水がまったく出なくなった。ポンプの故障でもないようだ。大家に、あわてて電話をかけると、受話器の向こうでばあさんは、のんびり答えた。
 「そりゃ、水が滴れたんだねえ。今みたいに雨があんまし降んなかったり、ジャージャーといっぱい使うと、その井戸は梱れるんだ」
 そんな……どうしよう。ばあさんは、私の気配を察して続けた。
 「大丈夫だよ。道を少し下ると、水がちろちろ湧いているとこがあんだんべ。そこから汲んでくるんだよ」
 バケツを両手に、さっそく水汲みである。家までの二十メートルほどを、何度も何度も往復する。台所に溜める。風呂に溜める。半日がかりだ。
 自分の体力で得た水は、いっそうおいしかった。貴重品だ。湿った土の匂いがする。少し、砂も混じっているが、まったく気にならない。
 必要以上の強さで蛇口から水を出さない、洗濯は風呂の残り湯で、など。それ以来、水を大切に使うようになったが、井戸はやはり時々水が涸れ、私たちの水運びも上手になった。
 夫は、天ぴん棒を作って二個のバケツを下げ、肩に担いで運んだ。バランスのとり方にも慣れて、ひょいひょいとあぜ道を運んでくる様子は、なかなかのものであった。

 水と同じく、汲んで運ばなくてはならないものがあった。自分たちの排せつ物だ。トイレは納屋の横である。トイレというより、便所。下に大きなかめが埋めてあり、溜める仕組みになっている。ということは、汲み取る仕組みなのだが、そんなことを考えずにすむ生活を続けてきたせいで、越してきた時に便所を見てもそこまで思い至らなかった。
 用を足しながら、次第にあふれそうになってきたかめを下に、私は突然思った。これって、やっぱり汲み取るわけよね。でも、誰が、どうやって?
 そうだ、汲み取り車。あれを頼めばいいんだ。だが、まてよ。ここは車など入らない。また、大家に電話である。
 ばあさんは、こともなげに答えた。
「自分で汲めばよかんべ。道具は納屋の裏にあるよ」
 教えられた通り、長い柄のひしゃくで汲み出して桶に入れ、枯れ葉が山積みしてある、裏の小屋に運び、その上にかける。こうしておくと、発酵して匂いもなくなり、よい堆肥になるのだとか。
 私は、ひしゃくで二三度汲んで桶に入れ、好奇心を満足させた後、その仕事を夫に押しつけた。

 チョットコィ、チョットコィ。森の向こうで、コジュケイが鳴いている。朝の身支度もそこそこに、気がついたら森へと足が向かっている。
 長年、都心に生活し、仕事だけに明け暮れていた日々から二度に目がさめたように、私たちは、自然に夢中になってしまった。
 山道を歩く。背たけの伸びたヨモギやカヤにまじって、紫がかったピンクのホタルブクロが釣り鐘のカタチにふくらんできた。白く小さな花をびっしりと小枝につけているのは、コゴメウツギ。コナラ林の足元では、チゴユリが、可憐に頭をたれている。
 山で、気になる木や草や花、烏や虫などを見つけるたびに、家に戻るとすぐに図鑑で調べた。山の花、野の花、樹木に昆虫、きのこに野鳥。自然シリーズの図鑑が増えていった。名前がわかると、その植物や昆虫に親しさが増す。気になる人がいると、まず名前を知りたいと思うのと同じである。
 それにしても、どんな小さな草などにもきちんと名前がついている。驚きだ。それまでは、ひとからげに雑草、虫としか目に映らなかった生き物が、名前を知ると、急にイキイキと個性を持って語りかけてきた。雑草という草はないのだ。
 たとえば、植物。馬(駒)を繋いでおいても大丈夫だったほど茎が強いので、コマツナギ。花のカタチからトラノオ(虎の尾)、薬をもむと強烈な悪臭がするところからへクソカズラ。小さな小さな実が、犬のソレに似ているのでオオイヌノフグリ。などなど。
 性質、匂いなどから自然に生まれたに違いない、と思える名前も多い。こんな単にまで、よくもおもしろい名前をつけたものだと感心するとき、昔は、自然と人との距離がほんとに近かったのだと思う。
 夜は、どこにも出かけず、薪ストーブを囲んで過ごすことが多くなった。谷あいの山猫軒は夏でも夜はひんやりして、屋内の湿気をとるためにもストーブを燃すことが多い。二人で酒を飲みながら、虫や木や草の図鑑で遊んだ。
 都内で暮らしていたときは、夜は、仕事帰りに友だちと誘いあって飲みに行ったり食事をしたり、街を遊び歩いていることが多かった。映画や舞台を見る、本屋やブティックをのぞく、新しいカフェやレストランに行く。人がつくったものを、見る、食べる、遊ぶ。受け身としての楽しみ方がほとんどであった。
 だがここでは違う。自分で見つけようと思いさ、与すれば、愉しみは無限に創れそうな気がする。まるで、子どもの頃、落とし穴を掘ったり、秘密基地を造って遊んでいた時のようなおもしろさ。しかもタダ。いっさい金がかからないのもいい。

『山猫軒ものがたり』  春秋社



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