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武州砂川天主堂 №6 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 6

         作家  鈴木茂夫

八月十一日、駒ヶ嶺(こまがみね)

 仙台藩は、新政府軍と仙台領の南端・駒ヶ嶺で激突した。
 寿貞と正義隊も、この作戦に参加した。
 敵が一斉射撃を行った次の瞬間、木立の陰から飛び出すのだ。新政府軍兵士は、三メートル近くに迫ってきた寿貞たちの姿を認めると、銃を投げ捨て、刀で応戦しようとする。幼いときから、刀が武士の魂だと教え込まれていた結果だ。自分の刀の柄に手をかけ、刀を抜こうとして、抜ききらないでいるその時、その一瞬こそ、攻撃の好機なのだ。
 どのような打ち込みでもいい。
 突くのもよし。
 斬り下ろすのもよし。
 横なぎに払うのもよし
 斬り上げるのもよし
 寿貞たちは、刀をふるった。
 正義隊は、敵の第一陣を、難なく斬り崩した。
 しかし、敵の砲弾が、炸裂(さくれつ)すると、密集していた味方の兵士たちが、吹き飛ばされて消えていく。新政府軍の大砲の砲弾は、仙台藩士を打ち砕いた。
 圧迫されて仙台藩は撤退し、駒ヶ嶺は陥落した。ここから本拠地仙台までは、約五十キロ、仙台藩は窮地に追い込まれた。

八月二十六日、仙台・青葉城。

 藩主慶邦は、藩の長老・重臣を招集し、今後の方針を諮問。降伏か抗戦かをめぐって、藩論は沸騰し、収拾がつかなくなった。

九月八日。

 慶應四年から明治元年と改まった。

九月十一日、仙台・青葉城。

 十数日にわたる激論の末、仙台藩は新政府軍に降伏することとなった。

九月二十八日、仙台。

 新政府軍千余人が青葉城に入り、東北戦争は終結した。この戦乱で、仙台藩千一一百六十人の兵士が戦死した。
 敗れた仙台藩は、新政府への恭順を示すため、藩士の責任を追及することとなった。
各隊の隊長たちは、そろって青葉城に出頭した。誰一人悪びれてはいない。新政府軍の幹部が見守る中、藩の家老たちが、獄舎につなぐと宣告した。一筋、二筋、涙が頬を伝わる。 寿貞たちは、その場で白衣を着せられた。そこから列をつくって市内の獄舎まで歩いた。せめてもの情けだったのだろうか、縄をかけらることはなかった。
 仙台藩の獄舎は、藩校養賢堂(ようけんどう)から遠くないところにある。四方を小さな堀で区切った高い武者塀(むしゃべい)の中に、四棟の牢屋が配置されていた。
 寿貞たちは、武士専用の監房・揚屋(あがりや)に収容された。房内には、大中小の三種類の桶がある。それぞれ便器、飲み水、疾つば用に使われる。
 獄舎での生活は、午前七時起床、午前八時朝食、午後四時夕食、午後六時に点呼がある。
 食事は、一日に、玄米五合と汁物、それに漬け物が与えられる。
 寝具は、薄い掛け布団、ムシロ一枚、それに杉材をタテ半分に割った半円の枕を使う。
 入浴は、夏が月に六回、春秋は五回、冬は四回と定められてある。
 同じ房にいるのは、仙台藩の友人たちだ。名目的に責任を取らされているだけなのであって、誰も犯罪を犯したとは思っていない。武上の誇りだけは、失いたくないという思いは一つだ。だから、寿貞はじめ数人の仲間は、従順に規則を守り、獄舎の生活に従った。
 新政府への遠慮もあって、牢役人は、時に大声を上げて、囚人を叱りとばすこともあったが、ふだんは何かと心地いをしてくれた。
 揚屋で、寿頁はみんなと話し合った。話したいことは、山ほどあるからだ。
 明治維新とは、何だったのかという疑問だ。それは薩摩・長州による幕府打倒の策略ではなかったのか。なぜ、官軍と賊軍とに分類して、国内で戦闘を強行したのか。
 これとは逆に、自分たちが信じてきた藩主への忠誠とは何だったのか。それは同時に、武士道とは、何だったのかという問いかけにもなる。
 藩主は、何を意図していたのか。新政府の徳川打倒になぜ抵抗したのか。藩主の判断は、正しかったのか。藩が降伏すると、藩主の責任の肩代わりに、なぜ、自分たちが獄舎につながれるのか。
 戦いに敗れた仙台藩は、今後も藩として存続するのか。武士は、今後も武士なのか。
そして、何よりも、寿貞自身は、何を人生の目的とするのか。
 こうした疑問のいずれにも、明快な解答は出せない。しかし、明治維新の激動で、これまで大切だとされてきた規範がくつがえり、新しい規範が生まれ出ようとしている。
 寿貞は、ひたすらに考え込む。同じ房の仲間とも語り合う。時たま、牢役人にどなられて、論議が中断することはあったが‥‥。
 何かになりたい。何かでありたい。それが何であるかはわからないのだが…・。
 いつになったら、この獄舎から解放されるのかも分からない。
 そして、この獄舎の中に閉じこめられていることで、社会の動きから取り残されているのではないかとの焦りも感じる。
 ここを出たら、しばらくは、自分を見つめ直してみようと、寿貞は思う。
 単調な獄舎での日々、寿貞は心せわしい時を過ごす。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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