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地球千鳥足Ⅱ №3 [雑木林の四季]

何しているの? 定年後のアメリカ生活

    小川地球村塾村長  小川律昭

 第一線を引退した七十歳の私が六十六歳からアメリカで暮らしていると、かつての同僚であった人たちから「一体何しているの?」と疑問の問い合わせがある。異文化の社会で、しかもある年になってから慣れた日本を飛び出して暮らしていること自体が腑に落ちないらしい。当地で仕事をしているのなら話はわかるが、何もせずただ不便な二重生活を重ねていることに、常識ではその理由が想像つかないのも無理はないかも知れない。そんな生活をしている日本人は少ないであろうし、今まで長い海外生活をしていての延長上ならいざ知らず、定年間際で海外に行った者が定年後も暮らすのだから、疑問が生じてあたりまえかも知れぬ。

 ではちょっとその理由を分析してみよう。当地での暮らしといっても、日本と行き来するので年にもよるがせいぜい一年に延べ八か月程度だ。その間ここを基地にして国内外を旅する。旅は今までの行動の延長であり、アメリカからは中南米が近くてしかも二、三時間の時差で行けるという便利さがある。このところフライト便も便利なので毎年出向いている。アメリカ国内は、露天温泉を探訪するのとマツタケ狩りに情熱を傾けている。
 このアメリカの暮らしで中に気にいっているのが大自然との共存である。林の中に家があるので野生の動物たちを観察していると飽きることがない。すぐ裏の林は、鹿の通り道にあたる。窓越しに鹿と目が合うと、立ち止まってジーツとこちらを見つめてくれる。その日の何と純粋で綺麗なことか。時によって違った夫婦や、子供たちが行き来する。ある時など半日ここで寝そべっていたこともあった。
 アライグマの奴らは慣れたもの。朝夕餌をねだりにやってくる。当然くれるものと思っているのかカサカサと音で合図したり、こちらの姿を見たらお立っちしたり寝そべったり愛くるしい姿を見せる。餌はパンだ。上手に前足でキャッチする。リスは木々や地面を駈けずりまわり、そのしぐさは愛橋ものに見えるが、小鳥の餌は盗むし、人間を小ばかにした目つきでジーッと人の表情を読み取り、行動する。利口なようでも地面に自分で隠した餌の場所を忘れるあたり、老人の習性に似ている。その他兎やオブサム、しまリス、亀までクリークから上がってくる時がある。

 趣味として、油絵を描き、エッセイを書く。窓からもたれかかるような緑や紅葉の林を、ゆったりとした部屋の自分のテーブルで眺めれば筆もはかどる。PC(パソコン)による電子メールやネットも若者に負けないほど楽しんでいる。Eメールは社会人ML(メーリング・リスト)グループに所属しているので、日に十通以上来る。キーボードは指一本で打つので意見の交換は大変だが、閑(ひま)をもてあます生活とはほど遠い。

 さて暮らしそのものだが、質素な家ながら広くて解放感がある。冬でも家中をステテコ一枚で過ごせるアメリカは快適である。日本のような局所暖房は年とともにつらくなる。だが二〇〇〇年の冬期は、水道管の凍結による破裂事故のため家が水浸しになり、その補修工事に追われてしまった。物価は為替に左右されるので一概には言えないが、今は円安のため物価が高く感じられるようになった。だが生活の基本であるエネルギー、米、パン、
乳製品、そしてビールが安価で助かる。なにより、果物が四季を通じて豊富なのが良い。

 このようにアメリカ生活は熟年には快適であるが、良いことばかりではない。習慣も違うし、医療保険は高いし、今さら敢えて不慣れな生活をすることもない、と自制の意見もあろう。たくわえが十分にある人も馬鹿らしくてそんなことにお金を遣えないであろう。私も始めから計画してやったことではない。アメリカに住むチャンスが出来、住んでみて、日米の文化と生活の相違を学び、この変化の激しい時代を老人として生きるには、日々刺激があった方が精神的にも鍛えられるのではないか、と思って決断したのだ。エイヤッと決めたが、良かったと思っている。プッツンと来てもおかしくない年齢だから予防医学上にも良い。痛い思いをして金を遣うより、楽しい刺激を受けてお金を遣った方が生き甲斐にもなるだろうと考えたから。医療の一手段、というわけだ。巧くいったら予防医学の実践例として先輩・後輩にお勧めしたい。 (二〇〇二年六月)

『万年青年のための予防医学』文芸社


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