西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №83 [文芸美術の森]
喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第11回 「花魁 小紫」
≪吉原トップクラスの花魁≫
今回は、寛政6年ごろに歌麿が描いた「当時全盛美人揃」シリーズから、吉原の高級遊女の図を1点、紹介します。
上図の遊女は、吉原の大見世のひとつ「玉屋」が抱える花魁の小紫です。小紫は、「呼び出し昼三」という一番上の格にある花魁で、玉屋が抱える遊女たちの中で、筆頭の地位にありました。
ちなみに、「大見世」ともなると、遊女と遊女予備軍の禿(かむろ)を合わせて、大体60~70人くらいがいたようです。
参考までに、当時の遊女の階級を紹介しておきます。(下図参照)
江戸時代中期(宝暦期)の改革によって、吉原遊郭の最高位だった「太夫」と、その次の格にあたる「格子」という階級は無くなりました。
代わりに、上図のような階級が定着します。
それまでの「太夫」に代わる最高位は「呼び出し昼三」と呼ばれるようになりました。歌麿が描いた小紫は、この「呼び出し昼三」にあたる玉屋の筆頭花魁だったのです。筆頭花魁のことを「お職」とも言いました。また、「花魁」という言葉も、妓楼内での一定の格以上の遊女を指す呼び方です。
「昼三」という意味は、元来、昼の揚げ代が金三分ということから来ているのですが、その中の最上格である「呼び出し昼三」の揚げ代は、新造付きで1両1分(15万円くらい)とされました。
勿論、「呼び出し昼三」を指名するとなると、それだけで済むはずはなく、お付きの人たちへのチップ、引手茶屋での遊興費、芸者や幇間の費用、妓楼での飲食費、花魁への別祝儀など、さまざまな付加費用がかさみ、とんでもない散財となるのが普通でした。
大見世ともなると、客が直接、登楼することは出来ず、必ず引手茶屋を通し、そこに花魁一行を呼んで遊興したあと、登楼するという決まりがありました。妓楼から引手茶屋への花魁一行の往復が、いわゆる「花魁道中」です。
歌麿が描いた、大見世「玉屋内の小紫」は、とびっきりの売れっ子遊女であり、裕福な上客が贔屓にするので、筆頭花魁、すなわち「お職」を張っていたのです。
とは言え、小紫はおそらく十代後半という年頃でしょう。
煙管を軽く握った手は着物の袖に隠れ、その袖で、ちょっと顔を隠すようにしている姿には、恥じらいと、娘らしさを残した可愛らしさが感じられます。
前回紹介した「河岸」とか「てっぽう」と呼ばれた、裏通りで営業する下級遊女と比べると、ここでは歌麿は、花の盛りの高級遊女の初々しい風情を表現しています。
吉原を熟知していた歌麿は、その絵画世界において、吉原に生きるピンからキリまでの様々な遊女を描き分けているのです。
この絵を含めた「当時全盛美人揃」シリーズの特徴は、いわゆる「大首絵」ではなく、女の顔を小さめに描き、身体、特に下半身を大きくとらえているところです。そのため、女性の姿全体で「風情」を示すような表現となっています。
次回は、歌麿が、吉原の遊女たちの一日の暮らしぶりを描いた作品を紹介します。
(次号に続く)
2022-05-31 06:37
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