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現代の生老病死 №5 [心の小径]

現代の生老病死~引き延ばされる老・病・死と操作される生 
 
     立川市・光西寺  寿台順誠
 
 2.現代の老

(3)認知症に関わる根本的な問題

 そこで少し認知症の問題に入ってみたいと思います。
 現在、「認知症800万人時代」とも言われていますね。これは2013年から2014年にかけて、4回にわたりNHKスペシャルで取り上げられた番組のタイトルだったのですが、そこでは2013年時点で推定462万人の認知症の高齢者が存在しており、それに認知症予備軍の高齢者を加えると、大体800万人になると見積もられていたのでした(5)。が、この数字はその後さらに増えているようですね。又、私の大学院の先輩から聞いたことですが、今の日本で年間大体8万人位が行方不明になるうちの約1万人が認知症の人だということですね(6)。
 このように非常に深刻な状況である訳ですが、大井玄というお医者さん(公衆衛生学者)が、認知症というのは「病気」なのか、それとも「自然のあらわれ」なのかという問いを出しておられます(7)。これは認知症に関する根本的な問いだと思いますね。
 思い出してみると、1967年だったと思うのですが、私の母方の祖母が亡くなりました。81歳でしたが、今の言葉で言えば「認知症」になっていました。母は岐阜県のお寺の出身ですが、そこに子や孫が皆集まって看取るような形になっていました。祖母は男の人に会うとすべて自分の「お兄ちゃん」だと認識していました。小さい頃の記憶に戻っていたのでしょう。が、当時は「認知症」という言葉はありませんでしたから、皆「お祖母ちゃんは呆けちゃった」と言っていました。けれども、当時の私の印象で言うと、人間は皆年を取ったらこうなるのだ、誰でも老いたらこうなるじゃないかと、病気というよりも自然なこととして、お祖母ちゃんを見ていたような状況を呈します。それが今のように「認知症」という病名が付くと、何だか非常に特別なことのようになってくるのではないかと思うのです。要するに、認知症は現在非常に深刻な問題にはなっていますが、これを特別深刻な病気として扱うのか、それとも人間の自然な姿だと考えるのか、これは大きな問題だと思いますね。
 それからもう一つ大井さんは重要な問題を提起されていますが、それは人間観の問題です。つまり、認知症の人を見ていると、西洋的な確固とした自己・自我などは無いということが分かるとおっしゃっている訳です。が、この永遠に変わらぬ自我など無いということは、仏教の無我の問題と合わせて考えると面白いのではないかと思いますので、そちらに話を移したいと思います。

(5)ウイキペデイア「認知症800万人時代」,
(6)横瀬利枝子「徘徊による行方不明を経験した家族の苦闘一一若年性認知症者を介護する配偶者の語りから一一」『生命倫理』25(1),2015.
(7)大井玄+[インタビューアー]阿保順子「大井玄先生インタビュー」『精神医療』75,2014.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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