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論語 №200 [心の小径]

四一〇 子のたまわく、民の仁におけるや、水火よりも甚だし。水火はわれ蹈(ふ)みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。

        法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「水と火は人民日常生活の必要物で、これなくしては一日片時も生存し得ないが、仁を失ったら人の人たるゆえんがなくなり、生きがいのないことになるのだから、仁の方が人間にとって水や火よりも大切である。その上、水や火は生きるために必要ではあるけれども、時には水の底、火の中に踏み込んで溺れ死に焼け死ぬ者をも見ることだが、わしはまだ仁の道を踏んで死んだ者を見たことがない。それだのに人はなぜ仁に赴くことをためらうのであろうか。」

 「水火を踏んで死ぬ勇者は見るが、仁を踏んで死ぬ勇者を見たことがない。」という意味に解する人もある。それもおもしろいが、初句との続きがうまくつかないようだ。

四一一 子のたまわく、仁に当りては師に譲らず。

 孔子様がおっしゃるよう、「仁を行うには、先生に遠慮はいちぬ。」

 佐藤一斎(いっさい)いわく、「譲らずとは、楢後れずと言うが如し。勇往の心を状するのみ。」
 中井履軒(りけん)いわく、「仁を為すに譲るべからざるは、父母に孝するが如き、人に譲りて先ず孝を為さしめ、孺子(じゅし)の将に井に人らんとするを見るが如き、人に譲りて先ず救わしめ、身を殺して仁を為すが如き、人に譲りて先ず死せしむ、あにこの理あらんや。譲らざるの甚だしきことは、師と錐も亦譲らざるなり。」

四一二 子のたまわく、君子は貞(てい)にして諒(りょう)ならず。

 「貞は正しくして固さなり。諒はすなわち是非を択ばずして信に必するなり。」とある。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は、道理の正しいところは固く守って動かぬが、理非曲直(きょくちょく)を択ばずに初一念に執着くするようなことがない。」

四一三 子のたまわく、君に事(つか)えては、その事を敬してその食を後にす。

 孔子様がおっしゃるよう、「国家の官吏としては、職責を重んじ所管事務に精励することがまず第一で、食禄俸給などを問題にすべきでない。」

『新訳論語』 講談社学術文庫 ′
                                                                                

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