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道つづく №21 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 あの旗をください 1

           
 鈴木闊郎       

 「路傍六十種・家まわり二十種」
 三田さんが好んで口にする言葉だ。
 何気無く足を運ぶのでは、道端の植物は全て同じ雑草や雑木に見える。けれどひとつひとつよく観察すると、百五十から二百種もの草木を見いだせる。ざっと観察するだけでも五、六十種は見ることができる。
 家のまわりに飛んでくる野鳥は、みな鳩や雀にしか見えないが、よく観察すれば二十種類の野鳥を見いだすことができるだろう。
 幼時この言葉を教えられた三田さんは、還暦近い現在までこの言葉の持つ深い意味を噛みつめつづけてきた。

 自然を、風土を、そして歴史を注意深く観察する。すると何故か、どうしてなのかという疑問が湧いてくる。調べる、考える-常に疑問を持ち、好奇心を働らかせつづけることこそ人間が進歩してゆくのに欠かすことができない条件なのだ。
 三田さんの来し方を決定したともいえる言葉が、偉人や英雄の蔵言ではなく、人間の智恵と経験から出たこの(路傍六十種・家まわり二十種)という素朴な言葉であったことは、以後の三田さんの生きざまを見るとき、実に暗示的である。
 そしてまた、三田さんの生れ育った青梅・友田の風土が大きく影響しているのは当然である。

  甲州裏街道青梅の宿から一里
  玉川上水羽村の堰からも一里
  お江戸日本橋から十三里
  東京府西多摩郡調布村字友田
  わたしはこの村で生れ
  この村で育った

  村はもとより豊かではないが
  人情は細やかに濃く
  思いやりと助けあいに生き
  多くの伝説を生み民話を残し
  昔話を伝えた
     「友田村讃歌」より

 いうまでもなく三田さんの詩の一節である。(三田さんの作る一連の詩には、多年私淑した詩人田中冬二氏の感化が随所に見られる)
 このような、細やかで濃い人情をもち、思いやりと助けあいに生きている友田村に生れ、

  青梅線小作駅に奉公にゆく姉を見送った
  晩春の夕薯であった
  母も姉も私もかたまって泣いた

  あれからもう五十年の
  歳月が流れようとしている
  父も母も兄も逝き
  姉も私も老いた
     (東京立川ライオンズクラブ・マンスリーより)

 このように生きた原体験は今でも三田さんの生き方に投影されているに違いない。
 昔話集「角さんの話」を十七歳でまとめたのも、この村の先人の生活の智恵に共鳴し、その奥深い意味を読みとったからにはがならない。
 三田さんは何気無く聞き過ごさなかったのだ。(つづく)

『道つづく』 ヤマス文房


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