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日本の原風景を読む №35 [文化としての「環境日本学」]

4 野鳥一文化としての野鳥 3

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

越冬の雁、支える稲田-大崎耕土

 雁に托された想い
 その瞬間、沼がしなう。仙北平野の北、宮城県大崎市田尻の蕪栗沼(かぶくりぬま)。日の出を待って三万羽を超すマガン(雁)が一斉に飛びたつ。ドドドドーツ。大地は鳴動し沼畔のヨシの原ともども、一五〇ヘクタールの沼全体が翼の風圧に激しくしなうかのようだ。
 キャハハーン。すさまじい音量で鳴きかわし、仲間同上確かめ合うと、Ⅴ字型の雁行や直線の竿型に隊形を組み、地平線まで連なる田んぼへ索餌に向かう。
 落ちモミや田の草で胃を満たし、日の入りとともに仲間ごとに編隊を組み、四方八方から高く低く、ゴゴーッと大群が風切音とともに沼へ戻ってくる。平均体重二・五キロ、広げれば一・八メートルもの翼をたたみ、一羽ずつほとんど垂直に水面へ落下していく。
 歌川広重が描いた「落雁」の景だ。かっては東京上野の不忍池や芝高輪が落雁の名所だった。森鴎外は短編「雁」で、近代化の命運を暗示するかのように、医学生による不忍池での雁殺しの場面を描いた。東京上野の国立博物館に所蔵されている遮光器土偶は、蕪栗沼の近くから発掘された。縄文の昔、先人たちもまたこの光景を眺めていたのだろう。
 防寒服でふくれあがった愛鳥家たちが、いまも朝に夕に躍動する瞬間を見守る。
 「鳥そのものを見に来るというより、日本人の心の風景を求めて、皆さんここへやってくるのではないでしょうか」(雁の里親友の会・池内俊雄事務局長)。
 およそ雁ほど人間の思いを托された野鳥は稀だ。秋の彼岸、遥か北の空から現れ、春の彼岸にシベリアを目指して天涯に去っていく。先人は雁の渡りを、去来する故人の魂の記憶と重ね合わせた。仏教の経典、報恩経には雁の王が仏陀その人として、従う五百羽の群れは、悟りをひらいた修行僧の集団(羅漢)として登場する。
 「京都二条城老中の間の襖絵は、雁とヨシの生えた水面で構成された葦雁図です。ひっそりと暮らす雁に、名誉や金銭など執着心を放下した清明な心境を託したのでしょう」(池内さん)。
 宮本武蔵の遺品「葦雁図」には剣豪らしい緊迫した空気がみなぎる。ツバメと雁が春秋に入れ替わり飛来する様子は「燕雁代飛」と表現され、永遠に巡り合うことのない二人の運命にたとえられる。雁首、鴈爪、椎皮紙、雁金、落雁、雁木造、がんもどき。すべて雁にちなんだ言葉である。

 鴈とともに生きる人々
 釜石市の北上川河口から四〇キロ、標高わずかに三メートルの沼と周辺の湿地帯は縄文、弥生の時代から伊達藩政を経て明治、昭和に到る間、洪水との戦いに明け暮れた。長大な堤防を築いて河道を変え、水田を拓いた伊達政宗、大規模排永機場を設け、動力で水を干しあげた近代日本。富国強兵から高度成長経済へ、国策は変わっても一買して新しい水田の開拓に力がそそがれてきた。東日本一の米どころ大崎耕土(二万五〇〇〇ヘクタール)は、いまはコンバインにはじかれる未成熟米の大量の落ちモミと田のあぜの草とで日本一の雁の群れを養っている。
 北東ロシア・チュコト半島で繁殖したマガンは、カムチャッカ半島を経由した後、北海遺の石狩川流域まで約一〇〇〇キロを一直線に飛び、平均時速一〇〇キロ、およそ一〇時間で到達する。
 蕪栗沼と周辺の田んぼは二〇〇五年、水鳥の生息地を保護するラムサール条約の指定湿地に登録された。沼と田が保護地として併記されたのは世界ではじめてだ。
 水田と丘陵地が接する一帯は、渡り鳥の生息湿地を守るためラムサール条約に登録された伊豆沼・内沼(五五九ヘクタール)、蕪栗沼・水田(四二三ヘクタール)、仙女沼(三四ヘクタール)を擁し、「ラムサールトライアングル」と呼ばれている。
 雁は長らく稲を食べる害鳥祝されてきた。しかしコメの生産過剰から減反、そして環境保全型曲膳業へ、時代を経て農民、行政と自然保護グループが互いに理解を深めていく。例えば蕪栗グリーンファームの斎藤肇さんは、冬の田んぼに水を張る「ふゆみずたんば」農法で米を栽培している。雁や白鳥が降り立ち、その排泄物でイトミミズが増殖し、雑草が生えにくい除草剤不要の田に変わる。食害の補償、沼に隣り合う湿田の買い取り、沼へ戻す策などによって、豊葦原端穂の国の原型が、蕪栗沼と水田地帯によって保たれることになった。雁に寄せる人々の思いがその原動力になった。
 「これこそ日本の文化、多様な生物と共生する水田農業の努力する実践例です。渡り鳥の王者雁にお墨付きをいただいた大崎耕土のコメ、味わい深い食の文化は市民の誇りです」(伊藤康志大崎市長)。
 大崎地域一市四町は二〇一八年、国連食糧農業機関(FAO)から「世界農業遺産」に選ばれた。社会や環境に適応しながら何世代にもわたって形作られてきた伝統的な農業と農業上の土地利用や景観、農の文化、生物多様性などが一体となった世界的に重要な農業システムとして評価された。
 洪水や冬の北西風から家屋敷を守る、屋敷林「居久根(いくね)」の散居集落の景色も高い評価を受けた。多様な樹種で構成され、水田の中に浮かぶ森のように点在する居久根は、水田地帯に張り巡らされた水路と共に、多様性のある土地利用と独特な景観(ランドスケープ)を生み出した。
 この景観は、多くの動植物が生息できる環境も提供し、大崎耕土の湿地生態系の保全に貢献している。
 さまざまに雁と係わる市民グループの充実ぶりには目を見張らされる。
 「この素晴らしい鳥たちが将来にわたり、安心して人間と共に暮らすことができるように」(日本雁を保護する会・呉地正行さん)。
 「厳しい自然の中で家族が助け合っている姿を見ることで人の世の思いやり、情愛を思い出してください」(蕪栗ぬまっこくらぶ・戸島澗さん)。
 「田んぼの生産性と生物多様性をどう共生させていくか。その答えは人間が自然とどう付き合っていくかにつながります」(田んぼ・岩渕成紀さん)。
 呉地さんは物理学、戸島さんは原子核物理学、岩渕さんは教育学、雁の里親友の会の池内俊雄さんは古典文学のそれぞれ専門家だ。
 「西行や定家を原点に、日本人の季節観と死生観を研究していて桜と雁に行き着き、雁をその対象に選びました」。
 雁の文字「「」(がんだれ)は、Ⅴ字型に飛んでいる雁の列を、その中の「隹」(ふるとり)は、撃った雁を持つ人を表しているという。文字の意味と八年間の雁との付き合いから、池内さんは人が自然を守るのではなく、人は白然に生かされているのだと思うようになったと言う。
 沼に近い杉山集落の人々は 伊達藩以来の謡の伝統を継いでいる。
  長き命を汲みて知る
  心の底も曇りなき
 朗々と謡曲が流れる大空を、五百羅漢の大群がのびやかな雁行を描いて去来する。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店

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