SSブログ

日本の原風景を読む №32 [文化としての「環境日本学」]

伝統と変革をつなぐ―日本橋

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

江戸広小路の復活へ
 一六〇四年、江戸幕府は日本橋川に架かる日本橋を東海道、中山道など五街道の基点と定めた。文明開化は江戸の動脈である日本橋川から始まった。
 莫大な物資と多彩な人材が水運と幹線道の拠点であるこの地に集まり、伝統と近代化とがせめぎ合う重要文化財「日本橋」の原風景を生んだ。現在のヨーロッパ風石造り二連アーチ橋は明治四十四(一九一一)年に架けられた。
 一九六三年、橋の真上に首都高速道路を架け、川はふさがれた。日本橋は生気を失った。高度経済成長後の街の衰退を脱し、日本橋では今、賑わいと潤いの回復、品格ある街づくりへの試みが盛んに行われている。
 江戸っ子気質が盛り上がる祭りの日々。毎年五月神田明神の「天下祭」、翌年六月には赤坂日枝神社の「山王祭」が交互に行われている。
 橋の北話から神田明神、南話から日枝神社の神輿が賑々しく登場する。しかし橋の中央「日本国道路元標」のあたりで神輿は静止する。双方の神の領分が接し、神輿を率いる江戸町火消名残の鳶頭(とびかしら)への配慮もある。祭りの頭上を首都高速道路が横切り、コレド室町1、2、3の壮麗、巨大などルが間近の空を圧している。
 「コレドのお蔭で日本橋界隈に人が集まり、商店の売り上げが増えているようだ。さりとて私には、再開発ビル群の街並みが日本橋伝統の街景とは思えません」。創業四百年、うちわと扇子を商う日本橋最古の商店「伊場仙」十四代目の主・吉田誠男さんの考えは明快だ。「路地に商いと暮らしが息づく風景を私たちは待ち望んでいるのです」。
 みゆき通りではヒートアイランドと温暖化を減らすため、間伐材で歩道を舗装し木のチップを敷き、電柱を地下化する「江戸広小路空間復活」の実験を中央区と共に試みている。
 日本将棋連盟の名だたる棋士を招いて、子供縁台将棋大会も催される。普段は人気のない裏通りが賑わう寶田恵比寿神社の「べったら市」(「月「九、二「日)が、路地空間復活のモデルだ。

日本場川に音空を、光を
 「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」の会長、料亭「日本橋とよだ」の主、橋本敬さんは、デパート日本橋東急撤退の辞を今も恥辱としている。「日本橋には未来がない。町に元気がない。客が来ない」。
 「そんなことを言われては、黙っていられない、とルネッサンスの会を作りました」。
 架橋百年、「日本橋に青空を、日本橋川に光を」。一九六三年この方、頭上を覆っている首都高速道一号線の地下化に向けて衆参両院への請願に、三〇万人を超える署名が集まった。国、東京都、首都高速道路会社が三二〇〇億円超を分担、一〇年後に高速道は視界から消える。
 「歴史、文化、景観、自然環境を重んじる、世界に誇れる都市づくり」(請願趣旨)が始まろうとしている。一三一〇〇億円は、環境復元のため、社会が負担してもよいと認めた「環境支払」の具体例である。
 創業二百年うなぎ割烹「大江戸」の当主湧井恭行さんは、日本橋一の部連合町会長を務めている。
「ここで昔から商売をしている人たちと共存できるような街づくりを、三井不動産の岩沙弘道会長にお願いしました」。日本橋は三井グループ発祥の地。三井不動産は超高層ビルの谷間に、この土地に盛んな稲荷信仰の主神ともいうべき「福徳神社」を復活させた。
  街が巨大化、超高層化していく日本橋に江戸の広小路、路地空間を復活させるのは容易ではない。コレドの並びにある「料亭とよだ」とお隣の地下工事現場から、生簀が原型のまま発掘された。日本橋魚河岸時代の仲買店のものだ。店の地割も当時のまま今に引き継がれている。店の一軒、一軒が一五坪、二〇坪どまり。「再開発ともなるとやたらに地権者が多く、先祖から引き継いだ土地は、もう地球の芯まで他人には譲らない、ときます」。

粋の美学に生きる街
 日本橋の南話に絶本舗を構える「柴太棲」の細田安兵衛相談役は、日本橋への尽きせぬ思いを語る。「口本橋は大人の街にしたいですよ。教養、身だしなみ、優れた感性を持つ人々を迎えるにふさわしい品格のある街に。そして江戸の伝統工芸晶をこの場で作り、日本橋ブランド、文化として発信したいですね」。
 日本橋ではさまざまな伝統工房が公開され、実技教室が開かれている。
 なかでも小津和紙(一六革二年創業)の手漉き和紙体験工房と文化教室は、多くの人を集めている。ここにも伝統をつなぐ姿がある。これら日本橋、江戸文化の素材の多くは東京湾、利根川を経て、堀割とも言うべき日本橋川へ到る物流によってもたらされた。
 「失われた良きものは蘇らせ、伝統のあるものは残しつつ、薄っぺらな懐古趣味ではなく、新時代にふさわしい、絹地文化を含めた野暮にならない街づくりを合言葉に。一歩下がった控えめな目立たない美意識の姿こそ、日本橋での生き方の美学〝粋″の表現なのです」(榮太郎本舗・細田安兵衛相談役)。
 「創造なきノレンは真のノレンじゃない、ノレンは守るものじゃない。心をこめて育て、磨くものです。客を迎える側のそれが本物のもてなしです」。
 江戸っ子の心意気、ヤセ我慢。それもこれも日本橋での生き方の美学、〝粋〟の表現なのだ。
 日本橋川の水運によって培われた伝統と変革をつなぐこの街に、水面が光る江戸広小路空間の復活を願わずにはおれない。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。