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じゃがいもころんだⅡ №54 [文芸美術の森]

老人とは?

          エッセイスト  中村一枝

 われわれ老人は、古い時代の殻を引っさげ、只うろうろするしかないのかなと、ふと思う。
 古いものは古いし、新しい考え方にはどうしても違和感が先に立つ。異物はどこまでも遺物なのだ。じゃあこのまま異物でいよう、その方がずって楽だし、変に今風にチャレンジしてみても、かえってまわりが居心地が悪くなる。要するに、あるがまま生きる、昔からずっとある生き方を通すだけなのだと、やっと落ち着く。
 といって、自分らしく生きると言われても、今までそれなりに生きてきて、自分らしく生きることが判らないという人もいる。誰かにお手本を見せてもらって、それについていく方がずっと楽なのだが、自分で生きる見当がつかないらしい。生き方なんて習字の手本じゃあるまいし、日常の中で自然に身につけていくものだから、改めてそう言われると、誰しも戸惑うのである。要するに、日々の生活に自然に身をゆだねる。抵抗もなく、当たりもなく、のびのしと大の字になって生きることなのだ、と言っても、ふつうはなかなか難しいのかも知れない。日常にはさまざまの抵抗や障害があり、些細なことでも年をとるほど増えていく。 そんなときあまり構えずに自然に溶け込んでいくようにこなしていく技術、というか、生き方、それができれば達人だ。達人とまではいかなくても、なんとか、それに近い生き方を考えるのが、年をとっていくにあたっての私の考え方である。
 年をとっていくと言うのは、今まで思ってもみなかった、いろいろの障害が次々起きてくる。その度に、ぎくっとしたり、がくんときたり、その時その時で対応は様々だが、先ず、のびをして深呼吸するような気持ちで対応するしかない。時間が経過すると、状況が変わってくることもあるし、、自分の中にある種のゆとりが生まれてくるから不思議である。時間稼ぎひとつの智恵なのである。


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