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日本の原風景を読む №28 [文化としての「環境日本学」]

川―原風景を貫通する川

 早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

 日本列島にはおよそ三万の川が流れている。列島は隅々まで、どこかの川の水域にあり、川のほとりで人びとは暮らし、独自の流域文化を培ってきた。
 この篇では、利根川を水源地域の群馬県みなかみ町、三面川(みおもてがわ)を新潟県村上市の日本海河口、魚野川(うおのがわ)を中流域の新潟県十日町で、人々の営みと合わせて記した。
 関東平野の農耕と都市は、坂東太郎こと利根川なしには成り立たない。三面川の鮭と人との関わりの歴史は、「村上鮭の子」の物語によって明快に示されている。
 社会の持続可能性はすべて水の有無、その水質の優劣によって決定される。川は山岳、森林、海をつなぐ生命の源・栄養分の大循環路であるからだ。
 三面川の河口にはタブの木の見事な魚付き保安林が繁茂し、鎮守社が祀られている。三面川に放流され、用水のにおいをたどって回帰した鮭は、その耳の中にある「耳石」によって、北太平洋にそそぐ数千の鮭川の中で、三面川生まれであることが正確に証明される。そこには川の個性が刻印されているのだ。
 「最上川舟歌」といい「川の流れのように」といい、川に托された人々の思いは深く、哀しく、美しい。
 清浄な水が田畑と街を支え、文化を培う。自然・人間・文化の環境三要素の基盤を担って、川は日本人の原風景を貫いて流れ続ける。
 東京日本橋に架かる首都高速道は、「日本橋に青空を、日本橋川に光と原風景の復活を」求める地域の総意を受け、一〇年後に撤去される。その費用二三〇〇億円に目を見張らざるを得ない。「川と青空、光」の自然の恵みがもたらす生態系サービスの貨幣価値が、都心の商業地域で目に見える形で明らかにされようとしている。高速道路撤去後の賑わいと合わせて、環境経済の新たな実験の場になることが期待される。
 川がもたらした風景は、地域の文化の表現である。人々にとりかけがえのない原風景である。

清流奔るヤナ場-魚野川
ヤマメ、一片の氷に
 新潟県川口町の山あいを流れる魚野川。遠くは谷川岳(一九六三メートル)、近くは八海山(一七七五メートル)から放たれた沢水を満々とたたえ、魚野川の清流は信濃川めがけてまっすぐ流れ卜る。
 合流点に到る九〇〇メートルほど川上に、急な流れを一部分さえぎって、その規模日本一の「川口町のヤナ場」が敷かれている。流れが水深一メートル、幅五〇メートルほどの急流に狭まるあたり、ソダ木で編まれた壁が逆ハの宰型に両岸から突き出している。魚が急流に誘われるままに降下し続けると、突然流れは失せ、幅五メートル、長さ一〇メートルほどの板組みの格子の上に放り出される。
 初冬のヤナには日本海から信濃川を上る旅路を終え、力尽きた鮭に混じって銀色の肌に陽光を虹色に反射させ、二〇センチ程のヤマメが繁く跳ねる。掌中にすると、ヤマメは一片の氷である。次々にヤナ場に跳ねる魚は、冠雪の谷川岳、八海山から生まれた、躍動する命の華というにふさわしい。
 「四月のヤマメ、カジカ、七月のウグイ、鮎の稚魚、イワナ、モズクガこ、ウナギと続きクライマックスは落ち鮎です。九月末から十月中旬になると成熟して海に下るんです。その時ヤナに落ちてくる」(川口やな場・男山漁場の網和彦さん)。

 冬の越後の営みを情感豊かに、そして科学的に活写した塩沢の人鈴木牧之は、名著『北越雪譜』(一八三七年)で鮭にまつわる博識ぶりを展開している。
 「古志の長岡魚沼の川口あたりで漁したる二番の初鮭を漁師長岡へたてまつれば、例として鮭二頭に、米七俵の価を賜ふ。初鮭の貴きことは推して知るべし。これを賞する事、江戸の初鰹魚にをさをさおとらず。此国にて川口長岡辺りを流る々川にて捕りたるを上品とす、味ひ他に比すれば十倍也」。
 ここにいう長岡とは長岡藩主牧野氏。長岡藩からは一番鮭に米三石。二番鮭には二石。以下五番鮭まで奨励の交付がある。この一番鮭を長岡藩は早打ちで将軍家に献上。又二番鮭は老中・若年寄りなどに分配された(宮栄二監修『校註 北越雪譜』)。

雪が鍛える越後の洒
 日本一の豪雪地帯魚沼丘陵から流下する渓流は、魚沼一帯に米文化の華、酒をもたらす。稲も酒も「水」がいのちである。
 蔵の窓外に信濃川の水面が迫る小千谷市東栄。高の井酒造の仕込み蔵の軒先では、大玉の西瓜ほどの〝杉玉″が純白の紙垂をまとってぶら下がり、酒蔵には京都松尾大社から勧請された「醸造の神」が神棚に鎮座している。初冬、この地の人と自然とカミが酒仕込みの共同作業に余念がない。
  上(あ)げましょかいの ソレ
  音頭取り様わいの サァサ
  酒に造りて エンヤラヤ
  五〇年を数える蔵元、高の井酒造に継がれてきた、新潟杜氏の「酒作りの歌」である。
 雪国の越後では雪の神秘な力もまた酒造りに加わる。信濃川に画して急な傾斜をもつ蔵の屋根の軒下に、縦四メートル、横二メートル程のステンレスのタンクが横たわっている。屋根から自然に落下する雪がタンクを五メートルほど埋め、醸造し終えた酒を一月末に貯蔵する。雪で覆ったタンクに百日ほど寝かせると絶妙な味に仕上がる。
 「新酒なのに、とてもまろやかな味になります。普通の熟成は進んでいないのに、古酒のような琉頭色になります。それでいて酸度もアミノ酸も、甘さ、辛さの数値も雪中貯蔵の前と変わりません。しかし味わいが全然違うのです。酒蔵では冷蔵設備をどんなに密閉貯蔵しても、一日に何回かはドアの開け閉めがあって、その都度空気の流れが微妙に変わり、影響するのかもしれません」(山崎亮太郎常務)。
 言葉や数字では表わすことができない「何とも言えない雪がもたらす妙味」を評価できる、日本ならではの酒文化の伝統である。
 酒の妙味と並ぶ織物の〝風合の文化″と言えば、「雪ありて縮あり」といわれる小地谷縮がその代表格である。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は二〇〇九年、上杉謙信の治世この方受け継がれてきた「小千谷縮・越後上布」を京都祇園祭の山鉾行事、アイヌの古式舞踊などとともに世界無形文化遺産に選んだ。原料から加工技術まで、小千谷市や南魚沼市の塩沢地区に伝わる古式技法を用いて作られた上質の麻織物を、雪上にさらして漂泊する雪国ならではの産業文化が世界的な評価をうけた。
 小千谷縮の麻糸には、海藻布のりを用いた「のりつけ」が行われる。この布のりをソバのつなぎに用い、幅三〇センチ、長さ五〇センチほどの長方形のお盆、杉板製の「へぎ」に盛り付けたのが小千谷名産「へぎそば」である。ソバはうっすらと海草の緑色に染まる。
 ゆでたそばを大き目のひと口ほどに丸めたものを、へぎに三〇個ほど盛り付け、三、四人でそれを囲んで食べる。                            
 日本酒が新鴻火文化の頭であるならば、「へぎそば」もまた織物文化の食文化への独創的な応用というべきか。
 JR飯山線が上越線に出会う越後川口駅の西方側で、信濃川は盆地のわずかな勾配を求めて鋭角に大蛇行を繰り返す。山本山高原…二六メートル)は、その雄大、繊細な河川景観を一望におさめる。
「山あり河あり暁と夕陽とが綴れ織る この美しき野に しばし遊ぶほ 永遠にめぐる 地上に残る 雄大な歴史」
 小地谷出身の詩人西脇順三郎の歌碑を傍らにして、去り難い思いにとらわれる。小千谷の風景には人と自然が織りなす、懐かしく心躍る営みがぎっしり詰まっている。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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