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じゃがいもころんだⅡ №53 [文芸美術の森]

ミーコ

           エッセイスト  中村一枝

 幸せなことに、私には親友といっていい友人が何人かいる。いずれも小学生のときからの友達である。その中でも一人特別な友達といえばミーコである。
 ミーコは猫ではない。本名嘉納ミサワ、幼い頃からの呼び名がミーコである。ミーコは私と同じ年の六月生まれ、私は四月生まれ、当時仲良しだった二人の母親は、同い年の二人の女の子を授かって、手を取り合ってキャーと言ったかどうかはわからない(それくらいのことはやりそうだ)が、随分喜んだに違いない。それからはミーコも私も着るものも一緒、どこへ行くのも一緒、といった風に育った。ミーコも私もあまり体が丈夫でなく、ミーコはよくおなかを怖し、私はよく風邪を引いた。同じ小学校に通い、同じクラスの隣同士の机でつかみ合いのけんかもした。ミーコのお父さんは評論家だったが、家庭を大事にするタイプではなく、ミーコとお母さんはいつも二人で暮らしていた。ミーコと一緒に食べた夕飯の数など数え切れない。ミーコのママは北海道生まれ、色白で細面のきれいな人だった。戦時中を含めて短い髪にパーマという斬新なスタイルで目を引いた。対する私の母は、長い髪をくるくるとまとめて後ろにひっくるめる従来の日本型、スタイルからして全く違っていた。 ミーコのパパが家庭を顧みない人だったので、私の家に泊りに見たミーコと私の枕元で、夜中に私の母が「ミーコ、かわいそうね」と言ったのをおぼえている。
 私たちは同じ高校に通い、同じ大学に入った。私は国文、ミーコは仏文である。ミーコが一年間フランスに留学が決まり、羽田にミーコを見送った。羽田空港の大きな柱の陰で、おばちゃんが涙を拭いていた。
 一年で帰ると言う約束は果たされず、ミーコはそれ以来ほとんど日本に帰らなくなった。モンマルトルの丘で一目ぼれされて日本人の彫刻家と結婚し、既に70年位のパリ暮らしである。それでも私たちは何年かに一度は顔を合わせて、「ミーコ」「まさちゃん(私の通称)」と手を取り合い、その度にたちどころに何十年も前に戻ることができたのだった。この不思議さ、である。
 長い友情と繋がり、性格も趣向もまるで違っているのに、通じ合っている、友だちという存在の面白さと不思議さに改めてむきあってしまう。離れていてもお互いの存在が息づいている、これが本当の友達ではないかとつくづく思う。
  二年前にパリの自宅が強盗にあって、慣れ親しんだ家を移った知らせがあった。今はコロナである。パリと東京は遠すぎる。二人の年齢を考えればもう二度と逢うことはないかもしれない。でも、二度と逢うことは無くても、この世に生を受けたときから友だちだったと、つくづく思うのである。

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