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日めくり汀女俳句 №83 [ことだま五七五]

八月三十一日~九月二日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

八月三十一日
しみじみと螢ぶくろの色たもつ
          『芽木威あり』 螢袋=夏
 この夏、一人の人との別れがあった。八ヶ岳の別荘地を開発し、ホテルの支配人だった人。誠実な人柄を愛され、その線で、ここに家を持った人が何人もいる。
 この土地を愛し永住の棲家(すみか)とし、趣味を生涯の仕事に、生きがいに高め得た人だった。杉本昌三氏。
 亡くなる二、三時間前、偶然道で会って少し話した。元気そのものの八十二歳の突然の死である。
 夏草乱れ咲く独り暮らしの家に、彼を愛する人々の手でしめやかな葬儀が。豪華な花束も、祭壇もないが、何と心にしみ通る葬式だったろう。

九月一日
天の川話し残しはいつもある
          『紅白梅』 天の川=秋
 戦争が終わったとき、小学六年生の私が新学期まずした作業が、教科書に墨を塗ることだった。担任は二十歳そこそこの若い女先生、髪をきりっと結びモンペをはいていた。
先生が、何と言って私たちに墨を塗らせたのか覚えがない。国語と歴史の本は真っ黒になった。私はかえって敵愾心(てきがいしん)をもやし、墨を塗るなら全部中身を覚えていてやろうと思った。
 ドーデーの小説「最後の授業」。身につまされて読んだ。墨を塗る行為のおろかさも、ずっと間違ったことを教えられていた悔しさも今、私の中では同じ重さである。

九月二日
一筋の秋風次の風誘ふ
        『芽木威あり』 秋風=秋
 山の生活から久しぶりに都会へ戻ってくると、何とまあ、物のあふれていること。スーパーの棚を見ているうちに、段々目が疲れてきた。これを退化、老化と呼ぶべきなのか。これが生活の便利というものだと、何の疑いもなく思っていた。
 実際、至れりつくせりの観があるくらい、品揃えが豊富なのだ。山のスーパーのがらすさの棚、十分もあれば一巡してしまう簡素さ、なれてみると、こっちの方が本当なんじゃないかと思う。
 折しも、商品の混入物の話題が連日。商業主義の行きつく先が見える気がする。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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