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日本の原風景を読む №25 [文化としての「環境日本学」]

水巡る物忌の山-鳥海山

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

大循環する水の恵み
 秋田、山形の日本海側県境にどっしり腰を下ろした鳥海山(二二三六メートル)は、山そのものが神と崇められる「神体山」だ。シベリア風がもたらす豪雪と日本海からの雨で年間降水量は一万ミリを超える。
 火山性地層の山腹の到る所からミネラル分轄かな伏流水が噴き出し、ブナの森に滝を架ける。山頂から一六キロを隔てた、秋田県にかほ市象潟(きさがた)の海底でも伏流水が盛んに湧き出し、真夏が食べごろの、美味この上ない巨大な岩ガキを産する。低い水温の湧永が岩ガキの成熟、産卵を遅らせ、旨味であるグリコーゲンの蓄積を促しているためとみられる。秋鮭、そして初冬にはハタハタの大群が、古里の水の香りに惹かれて岸辺に寄ってくる。
 「海のにおいも、色だって変わるのさ。漁師は体でハタハタの群来を感じとるんだよ」。象潟漁協職員佐藤仁さんはぶ厚い胸を叩いた。
 日本海に冬雷とどろく季節はハタハタの漁期だ。五か所の定置網グループと沖合操業船五隻が息をひそめてハタハタの群束を待ち受けている。「魚」に「神」と書いて鰰(ハタハタ)と呼ぶ。普段は全く姿を見せない魚が、お正月前に突然押し寄せてくる。神様からの恵みの魚とされている。
 伏流水をひきこんだ広大な山麓には稲が波打つ。秋深く、大循環する鳥海山の水は、山と平野と海を巡る天の恵みとなって躍動し、自然の営みと人々の暮らしとを結び、活気づけている。
 ― 人々の生活の背景には、いつも鳥海山があり、信仰の山としての存在も大きく、その姿の美しさと共に心の支えとなっている。            (秋田県教育庁)

自然への畏れと慎み
 鳥海山の頂に鎮座する主祭神は、『延喜式』(九二七年)にも記された、穢れを嫌う大物忌神だ。鳥海山の噴火は三回記録され、溶岩流が集落を襲った。文化元(一八〇四)年の象潟大地震は海沿いの土地を二メートル隆起させ、芭蕉が松島とくらべ讃えた象潟の八十八潟九十九島の美景は一面の泥海と化した。このような体験から「物忌」とは、人知では制御できない自然の営み1天変地異への畏れと慎みの生活作法と解されている。
 「自然の猛威もあるがままに受け止め、その場を去ることなく、暮らしをつむぎなおしていく。それがこの土地の生活流儀なのです」。芭蕉が景勝象潟の要、と絶賛した蚶満寺(かんまんじ)の熊谷右忍住職は、失われた風景の記憶をたどり、潮風に鳴る山門の松林に目を遊ばせる。
 ― 松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
    象潟や雨に西施がねぶの花           (『奥の細道』)
 中国春秋時代の末期、戦いに敗れた越の王から勝者呉王に献じられた悲劇の美女、西施の心境を芭蕉は折からの雨の景、象潟の失われた風景に重ねて詠んだと伝えられる。今もにかほ市内はねむの花で彩られる。

温水路が稲作を支える
 にかほ市象潟郷土資料館の斎藤一樹学芸員は語る。「温水路こそ物忌の文化に培われた英知、郷土の誇りです。水源の鳥海山を背景に、温水路の段差の水がきらめく景観は象潟の原風景です」。
 雪解け水と湧水が混じる鳥海山からの白雪川水系の水温は、潅漑用水の取り入れ日で平均一〇・七℃と低く、稲作(適温は二八℃~三七℃)農民は冷害に悩まされた。
 昭和の初め、取り入れ口上流に発電所が建設され、さらに水温が低下したため、補償金一万七一〇〇円が下流域に支払われた。篤農家佐々木順治郎がこれを元手に昭和二年、標高一七〇メートルから二五〇メートルの草原台地に、農民たちの力で日本初の温永路「長岡温水路」(長さ六四八メートル、幅一〇メートルから二〇メートル)を完成させた。水温は八℃ほど上昇、一帯は有数の米どころに。
 「経験から、水路の幅を広げ、水深を浅くして緩流せしめ、さらに多くの落差工を設け水をもむ(櫻乱する)ようにすれば、水温は上昇すると考えた」(佐々木談。『上郷温水路群概要書』)。自然の負の圧力を自然の力を借りて緩め、手なずける大物忌神に由来する暮らしの作法である。
 昭和三十五年にかけて水路は延べ五系統に広げられ八〇〇ヘクタールを潅漑、一〇アール当たり米の収量は三〇〇キロ台から五〇〇キロ以上に増えた。鳥海山を背景に、いく段にも滝のように連続する落差工の水流のきらめきは、人間と大自然の営みのあり方を私たちに語りかける。
 鳥海山はブナの森を深々とまとい、ブナは並外れた保水力と有機質の供給力を合わせもつ。水田と海の豊かさの原点である。にかほ市民約七百人は「ブナの木を植える会」に加わり、この一九年間に標高七〇〇メートル地帯に五万本を植林した。一九六〇年代始めに皆伐されたブナの森を復活する試みだ。

 作家森敦は鳥海山二二三六メートルの標高を「既にあたりの高きによって立つ大方の山々のそれとは異なり、日本海から直ちに起こって自らの高さで立つ、いわば比類のないそれであることを知らねばならぬ」(『鳥海山』、「初真桑」)と記している。神々がひそみ、人々に交わる孤高の山岳風景は心に深く響く。豊かなブナの森に培われた東北文化の基層、日本の原風景を表しているからであろう。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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