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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №38 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくなれのはて」

         早稲田大学名誉教授  
川崎 浹

交渉難航

 昭和四十二年(一九六七)八月六日
 懇意にしている村の人来、この辺の田圃畑地全部、団地に売れた、この家の田を十坪、或農家から借りて睡蓮池にしている処も売れたので、地代前払いしていたのを返したいと言っているので持ってきたと、それはそのまま取って置いていいでしょう、とにかく貸借を解消する事。

 十月八日
 だれかが玄関に来た。出てみたら地主の酒田だった。団地のことでここでもいいが一寸相談したいと、上げて画室に入る。入ってくるや画室を見回してあの沢山あった絵はどうしたのですかという。描きかけのものが二、三枚正面にあるだけだったので、出来上がったのはあの段ボール箱に入れているんです。ああそうか、大分あるなと言って腰かける。
 この辺団地に売れてしまったそうですが、ここだけが残っている。団地側でここもどうしても欲しいと言ってきているが、どうしますか。それは地主のほうのことでしょう。私は借りているのだから持ち主が変わればそちらに地代を払うことになるだけです。売る売らぬは地主の自由でしょう。どうぞ御随意に。私が移転するかどうかはまだきめておりません。それは困ったなと言って帰って行った。

 五、六日たって地主また来た。前と同じような話のあと、高さんが動かないと言うなら、いつまでもこのままにしておきます。しかし団地側ではぜひ欲しいと言っているのですが、(省略)団地になったらこんな処には画家としては居られなくなるでしょう。ここもお借りするはじめにお話ししたように長くは居ない。早ければ五年住まい、長くても十年くらいしたら又どこか他の処に移る。房総などの海岸に行きたいと思っている。もし移転されるならそこに住居を作ってあげると団地側では言っていますが、どうでしょうか。団地側から新家屋を作ってもらうような因縁はこの問題にはありません。デパートの商品のように正札をつけてどれかを選べというのでしたら、受け取るかもしれません。だがこの頃よく言っている談合ということは一切しません。ここで断っておきたいのは、第一は日本国民である、そしてこの法規に従うこと、それと慣習とエチケット、この三つで対します。エチケットは絶対ではないが、実際上ひとと交渉するには絶対と同様の必要だとするのです。

 十月二十五日
 おそろしく肥った男(小夫田・こふた)とその番頭(運転手)とが来た。番頭がまず名刺を出す。東金企業KK開発課員とある。番頭は一寸来意をつげる。画室に入れる。入ってくるなりコブタが描きかけの柿の葉つき枝を並べて、これはいい、これはすばらしい絵だ。これ私に売ってください。売るためではありません。研究のためです。出来上がっても売るかどうか分かりません。前もって売約は決してしません。それからコブタはやっと腰かけてオーヨーに話を始めた。名刺も出さず、KK社長ときめてかかる。団地のことですが、ここもぜひ欲しいのです。移転先も作ってあげますし、どこでもいい、もつと東京に近い処でもいいし、ここから移っていただきたい。ただ団地建設をしているのは大資本の会社ではあるが、とにかく営利会社ですからそう無制限に大金を出すわけには行かない。適当な処で折り合っていただかないでは、まあそれでご相談に上がったところです。はねつけてやろうかと思ったが、まあどういうことになるかと、地主に話したことは一応話した。あんな男と話したこと生まれてこの方初めて。画室がけがれたような気がする。塩をふってやりたかった。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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