祖道傳東Ⅱ №29 [文芸美術の森]
第二十九図 「病還故里」
画 傅 益瑤・文 曹洞宗大本山永平寺
《紙本墨画》 九〇×一二五 軸装
越前の厳しい風土、峻厳な修行生活によって、道元禅師の健康状態が建長四年の秋ごろから優れなくなってきました。
そうした道元禅師の身体を心配した檀越(だんおつ)の波多野義重は、たびたび京都から使いを出し
て、京都での療養生活を勧めました。
道元禅師は『正法眼蔵』の最後の巻となった「八大人覚」を『道教経』から説いて、約十年間住み慣れた越前の永平寺を離れる決心をいたします。夏安居(けあんきょ)を終えて、懐奘和尚を伴って京都へ向かいます。途中、越前若狭街道の木の芽峠を越えて、永平寺を後にする道元禅師の健康を心配し、多くの人たちが沿道に出て無事を祈ってくれました。
道元禅師は越前を離れるときに次の歌を詠んでいます。
草の葉に かどでせる身の 木部山
雲にをかある 心地こそすれ
『祖道傳東』大本山永平寺
2020-10-30 09:45
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