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浜田山通信 №274 [雑木林の四季]

生き物の本能

        ジャーナリスト  野村勝美

 血ヘドを吐き、たれ流し、糞まみれになっても人間は生き抜かねばならない―というのがわが師戸井田道三先生の口ぐせだった。若い時から結核に感染、何度となく死線を乗り越え、昭和63年78歳で亡くなった時、肺は25%しか機能していなかった。前日見舞いに伺った時も話は仕事のことばかりだった。
 私の若い頃もそうだったが、結核ほど恐れられた病気はない。いま世界中に猛威をふるっている新型コロナは、卒寿越えの私などびくびくものだが、若い人は平気で夜の町にも遊びに行く。しかし昔の結核は、むしろ若い人が感染し、致死率も高かった。嫁に行った新婚の女性が結核とわかれば実家に帰されたし、亡くなれば着物。持ち物一切 焼却された。
 昭和55年頃は、会社の同僚が感染すると東村山の結核療養所に入所させられた。真冬でも窓を開け放し、新鮮な空気を入れているが、寒いこと寒いこと、見舞いに行っても早々に引き揚げた。私の友人の広瀬豊など大阪で結婚草々夫婦そろって感染し、敦賀の療養所に入所した。国立の結核療養所が何か所あったことか。いまも国立病院として残り、コロナのクラスターを発生させたところが多い。
 10代で発症したということもあったが、戸井田先生の生に対する執着は強かった。人間は何が何でも生き抜かなければならないのだということを思い知らされた。どのような状況に陥ったとしても何が何でも生き通すこと。生まれてきた人間の義務というかそれ以上のものだと先生は主張された。
 9月27日、女優の竹内結子さんが自殺した。もう何年もテレビドラマを見ていないので、このところ3、4人の若いタレント女優の死が報じられてもなんの関心も持たなかった。竹内結子は私のごひいき女優、大竹しのぶ、常盤貴子につぐ最後の一人で、もしまた彼女がドラマに登場したらまた見たかもしれない。自殺とか自死とか、若い時には考えたことがあったかもしれないが、それもこれも往時茫々。それでも何が何でも生きねばならないということは師の教えとして頭に刻み込まれている。
 竹内結子には2人の子供がいる。兄は前夫との間の14歳になる男の子、下の子は現夫との間にことし1月に生まれた次男。この子たちのことをちらっとでも考えたのだろうか。自殺、自死のことは、研究者やコメンテーターがどう言おうと判らないし、本人が言っても本当のことは判らないだろう。たしかに世の中には後追い自殺をする人もいる。しかしそれだって先立った人が喜んでくれるかどうか判らない。どちらにしても人の死は本人だけのものではない。親、子、兄弟姉妹にかかわる問題である。
 人間は何が何でも生き抜かなければならない。生き抜こうとする意志、意欲、それこそが、生まれてきたものの本質であり、義務である。ボケ老人? もちろんボケ老人でも生き抜く本能ありです。

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