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渾斎随筆 №64 [文芸美術の森]

現代の書道 5

                 歌人  会津八一

 けれども日展の書道部には、筆法やそのほかのことで、特別にわれわれの目を惹くものがあった。それは二三の作家たち、それもただの應募者でなく、審査に當る大家たちの新しい試みらしく、その二三の中でも、或る人は、文字の形をことさらに歪めたり、或る人は字配りをことさらに不均整にしたり、或る人は一本一本の練の引き方に珍しい手ぶりを見せたり、また或る人は、一連の文字の中で、目につくほど墨色の濃淡を分けたり、一人一人にいろいろの傾向はあるが、いづれも在来の書家風の沈滞した常套を破って、この道のために創新な生面を開かうとしてをられるのであるらしかった。見物人の中には、かうした作品に、眉をひそめて立ち去るものもあったが、これだけの工夫を凝らして堂々と世に問ふにいたったその勇邁な意気に、私などは深く感動した。
 けれども、かうした作品の前に立って、私が感じたのは、作者たちは、いづれも書家としての舊来の年季奉公を、何十年も勤めあげ、いはゆる筆法、書法の、表も裏も、酸いも甘いも、何もかも知り抜いてゐるヴエテランで、自分でほ百も二百も心得てゐる定石をば、自分で気樂に踏みにじって見せたり、自由に横紙を破ったりしてゐるのではあるまいか、といふこのことであった。その證據としては、この種類の作晶は、どれもこれも、見たところでは遣りっぱなしげに見えて實はその底に、ほんとに細かい技術が働いてゐる。だから随分自由げに見えても、若さも明るさもなく、朗かさもない。もしさうだとすると、それは玄人の遊びとか、通人の酒落とでもいふべきもので、目ざすところは趣味であるから、時によっては一興でもあらうが、われわれが今の國民のために必要な藝術としての書道を、この中から見出すことは、むづかしいであらう。
 ことに、この人々の作には、字形のことさらに不明瞭に書かれてゐると思ほれるのが多い。これも重大なことだ。書道は文字を書く。その文字は明瞭でなくてはならない。古人にも平気で不明瞭の字を書いてゐるのもあるが、それはその古人の不心得で、そんなことを、今から眞似る必要はない。また典據とすることは出来ない。意味の解らないところや、線を書き込んで、その中から何かの感じさへ出てをれば、それでいいといふのは、書だけのことで、書道は明瞭でなければならない。何事も実用第一と考へてゐる私ではないが、書道は性質として明瞭でないと書道でないといひたい。現代の社會が、どんな文字を求めてゐるかは、書道の展覧會などよりも、都會の大通の看板を見て歩いてもわかる。雑誌屋の店に飛込んで、書物や雑誌の表紙を見てもよくわかる。そこに現代の求める明瞭がある。この明瞭を犠牲にせずに、書道の藝術を樹立してもらひたいものだ。
 日展の書道を見て、私の感じたことは、まだいろいろあるが、いづれまたの機會で述べることにする。ただ一つ、文字に対する態度は、現下の國民として大きな問題で、漢字はその數にも形にも大きな制限を受けて、そのために、社會の耳目といはれる新聞でさへも、その範圍内に活動を縮小してゐる。こんな時代であってみれば、文字に一番因縁の深い書道界の態度こそ、實は知らんとして私の期待したところであった。けれども、實際は何も見ることが出来なかった。これにもいろいろの意味で失望した。中國の昔、秦は六國の後をうけて、強力な政治を行って、書體の統一までやった。これに封して、今日から誰も、藝術に対する壓制だとはいはない。かへつて藝術の恩人であったと考へられる。唐の時代に顔氏の一族は「千祿字書」を著はして、正字、通字、俗字の段階を一字一字について明かにした。ここに顔氏一族の、文字に対する誠意が窺はれる。また同じ唐の則天武后の時に、「天」「地」「日」「月」その他合はせて十八字を改めて、それぞれ新しい形の文字を代用させた。これはあまり結構なことでないかも知れないが、今からその頃のものを見ると、時代の實感が反映してまことに面白い。今の書道界の人たちは、通用すべき漢字の數や筆畫について、誰よりも先だって、積極的な態度を取ることによって、國民の向ふべきところを示してほしいものだ。字書や古法帖にありきへすれば、どれもこれも活きてゐる字だと思ってゐるなら、それはそれは大間達だ。  (昭和二十五年二月)
                                『中央公論』第六十五年第二号昭和二十五年二月

『会津八一全集』 中央公論社


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