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渾斎随筆 №60 [文芸美術の森]

現代の書道 1

              歌人  会津八一                       

 文展は明治の末に始まり、それが帝展になり、また文展になり、日展になるまで、何十年と、いふ問を、繪畫と彫刻にばかり力を入れて、書道には目もくれなかった。書道は藝術だ、東洋特殊の藝術だ、しかも一番高尚で幽玄なものだと、一部ではいひ古されてゐながら、その幽玄高尚な藝術が、いつも取り遺されて来たのも、不思議なことである。しかし日本人は、何所かで聞くとか、何かの本で讀んだりすると、つくづくとよく考へても見ず、よく腑に落ちもせぬうちに、さも信じ切ってゐるやぅに物をいひたがるから、一部の人たちの保護などは、とてもあてにならないとしても、政府の役人とか、国民の代表とかいふ人たちの取り計らひが、さうでないところを見ると、書道は日本では藝術の部には、はひれないのかと、私などは久しい間、半分はもどかしく、半分は諦めの気持であった。
 すると一昨年から、書道が日展にはひることになった。最初は耳を疑ったくらゐであった。けれども、有名な先生たちが審査員になって、もう二度も陳列があった。とかく何事にも註文の多い私にも、まづもってこれは喜ばしかった。しかしかうした計らひは、どうして起ったのであらうか。政府の役人が、何十年目かにやうやく書道の藝術性に気がついたのであらうか。それとも日展の上に立つ日本藝術院の会員たちが、半世紀にあまる書道の薄遇に、特別に同情の涙を注いでくれたのであらうか。その連のことも妙に気にかかるが、それはどちらにしても、かうしたお引き立てを受けたのを、きっかけにして、書家たちも、書道をめぐる外部の人たちも、もつとしっかりと書道の本質を掴んで、もつとしっかりと目を醒し、これをば、ほんたうに国民の藝術、国民のためにほんとに必要な藝術にするやうに、この場合に一つ、しっかりとした自覚をして貰ひたいものだ。こんな風に考へながらも、地方に住む私は、第一回は寫員や圖録であらましを想像するだけであったが、昨秋の第二回は、まのあたり拝見した。
 一點づつ拝見して、時の移るのを忘れるうちに、私は、いろいろと烈しく、思ひに餘るものがあって、胸の中は∵はいであった。一たい私は若い頃から字を書いて来たが、師匠につくでもなく、したがって筆法の秘侍を受けるでもなく、特別な手本を書き込むでもなかったし、もとよりその方の専門家になるとか、通人になりたいとかいふことは思ひも寄らなかった。しかし、長いことたどたどしく骨を折ってつづけるうちに、何となくいくらかの欒しみを覚えながら、いつしか年を経たものであるから、もとより世間でいふ上手とか下手とかいふものでないのであらう。
 こんな不用意な私であるが、不用意なればこそ、かへってこんな場合にはっきりと物をいふ資格があるかもしれない。書道はほんとに藝術かどうか。少くも今日の書道は立派な藝術なのか。国民の生活にとってほんとに必要な藝術か。もしさうでないとしたならば、どんな風であってほしいものか、これはどれもこれも重大な問題と思ふが、こんなことは、めったに専門の書家たちの集會の議題にも上らず、深夜瞑想の宿題にもならぬらしいから、この機合に私の素人考へを卒直に述べさせて貰ふことにする。何かのご参考になってほしいものである。
    (『中央公論』第六十五年第二号昭和二十五年二月)


『会津八一全集』 中央公論社



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