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論語 №99 [心の小径]

三一一 子、衛(えい)に適(ゆ)く。冉有(せんゆう)、僕(ぼく)たり。のたまわく、庶(おお)いかな。冉有いわく、既に庶し、又何をか加えん。のたまわく、これを富まさん。いわく、既に富めり、又何をか加えん。のたまわく、これを教えん。

               法学者  穂積重遠

  孔子さまが衛の国に行かれたとき、冉有がお伴して馬車を御(ぎょ)していた。孔子sまが車の上から衛の回の模様を見て、「さても人口の多いことかな。」と感嘆された。そこで、冉有と孔子様との間にこういう問答があった。「実に大した人口でござりますが、この上何か付け加えることがありましょうか。」「人が多くても貧しくて日々の生活に困るようなことでは何にもならぬから、産業を盛んにし租税を軽くして、人民を富まさねばならぬ。」「人民が富んで生活がゆたかになりましたら、その上にまだ何か附け加えることがありましょうか。」「富んだだけで教育がないと、仁義道徳を知らずして人たるかいがない故、これを教化せねばならぬ。」

 国としてはまずもって人口が多くなくてはならぬ。フランスのようでは困ったものだが、人口が多いということは、他方国家の大負担でもある。日華事変も太平洋戦争もさかのぽればわが国の大人口のはけ口を求めねばならなかったことが原因だが、敗戦の結果そのはけ口がふさがったばかりか、八千万人の大人口がいわゆる辺土栗散(へんどぞくさん)の小天地に押しこめられて「庶かな」と、感嘆ではなくて、歎息せねばならぬことになってしまった。しかしていたずらに庶いのみで、食糧難・住宅難・就職難、さらにそれに加うるに意気阻喪(いきそそう)・道義頽廃(どうぎたいはい)、まことに「これを富まさん」「これを教えん」と絶叫せざるを得ないではないか。

三一二 子のたまわく、いやしくもわれを用いる者あらば、朞月(きでつ)のみにて可なり。三年にして成るあらん。

 「朞月」は「期日」。すなわち今年三月から来年三月まで、というようなわけで、一周年をいう。

 孔子様がおっしゃるよう、「もしわしを用いて政治をやらせてくれる人があるならば、三年でもけっこうじゃ。三年もあったらりっぱに成績を挙げてみせるのだがなあ。」

 このあたりになると孔子様も相当あせっておられる模様が見える。「三年」というのが、中国のきまり文句だ。(一一・八六・一九六・二七八・四五二)。ここでも「五年計画」の「十年計画」のというような正確な意味ではない。

三一三 子のたまわく、善人邦(くに)を為(おさ)むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべしと。誠なるかな、この言(こと)や。

 孔子様がおっしゃるよう、「古語に『善人が相継いで国を治めること百年ならば、人間の残忍性に打勝って、死刑など必要とするような大罪をなくし得る。」とあるが、ほんとうじゃ、この音楽は。」

 前章及び次章と関連させて、聖人は三年、善人は百年、王者は三十年、というような論もあるが、孔子様がそんな区別をされそうもないことだ、またここの「善人」は、第一七二章及び第二七二章におけるような、区別的、限定的の意味ではなく、一般的の「善い人」の意味だろう(三三一)。そしてこの古語は一方に為政者が善人でなくては治績があがらぬことをいうと同時に、他方では「残に勝ち殺を去る」というような根本的人性改造は、なかなか人間一代の仕事ではない、ということを暗示したものとして、孔子様が賛成されたのである。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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