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多摩のむかし道と伝説の旅 №42 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

多摩周辺の義経伝承路を巡る 3

                  原田 環爾
義経3-1.jpg

 読売ランド前駅の北口を出るとそこは小田急線に平行して津久井道が走る。津久井道とは三軒茶屋と津久井を結ぶ昔の交易ルートである。津久井道に沿って西へ200m ばかり進むと歩道橋のあるT字路帯『高石歩道橋』に来る。そこを右折するとすぐ小さな沢に架かる二枚橋という橋の袂に来る。橋の欄干には馬に乗った義経義経3-2.jpg義経3-3.jpgと馬をひく弁慶のレリーフが飾られている。この橋が先に述べた義経と弁慶が架けたとの伝承のある橋だ。すなわち治承4年(1180)の秋、源頼朝が平家を滅ぼそうと旗揚げした折に、弟の義経が奥州の平泉から弁慶や伊勢三郎、駿河次郎たちを従えてかけつける途中ここを通りかかり、当時の橋が粗末なものであったので、弁慶たちが馬も通れる橋に造りなおした。その橋は丸太を並べた上に土を盛ってあり、横から見るとのし餅を二枚重ねたように見えるので二枚橋と名付けられたという。
 二枚橋を渡るとすぐ信号のあるT字路帯となり、そこを左折して狭い街路にはいる。左折点の一角には馬頭観音の文字塔が立ち、街路を50mばかり入った所の右手路傍には台座に『導教親子地蔵尊』と刻んだ地蔵が佇んでいる。何でもない街路ではあるが昔からある古い道筋であることを物語っている。道はうねうねと屈曲しながら丘陵の坂道を上って行く。やがて集落は途切れ田畑の広がる明るい尾根筋に出る。程なく前方にこんもりと樹木の繁る一角が義経3-4.jpg現れる。高石の鎮守高石神社だ。尾根筋の裏手の鳥居から神社の境内に入ることが出来る。境内には本殿、厄焼落し、神輿庫などがある。神輿庫の裏に回れば遠く読売ランドの観覧車を遠望することができる。なお厄焼落しは義経の伝承に由来する神事で、昔出陣の折、様々な困難に遭遇することを憂い、高石地内に源氏の氏神を祀る八幡社があると聞いてやってきて厄払の神事を行った。厄を焼き払ったことで戦勝し無事鎌倉に帰着したという。以降厄払いの神事が霊験あらたかであることが武蔵・相模のほか関八州に広く伝わったという。
 高石神社を後にして住宅街を縫う尾根道を進む。300mも進めば住宅が途切れ見晴らしがよくなる。すると右手に坂道を曲がりながら下る分岐点が現れる。その坂道の方向を水平に目線をやるとこんもりと茂る林があり寺らしき屋根が見える。それがこれから向かう法雲寺だ。分岐道に入り坂を下りきると、古びた民家がありその右側に細い道幅の上り坂がある。その細道をうねうねと上がって行くと寺の外壁沿いの小道となり、程なく曹洞宗法雲寺の山門前に出る。山門をくぐると右手に六地蔵があり、その傍らに見事な馬頭観音等の石塔が立っている。境内はやゝ細長く、奥まった所に本堂があり、その左手は結構広い庭になっている。寺には平安末期に定朝様と呼ばれる作風で作られた像高75.5cmの木像寄木造の阿弥陀如来坐像が所蔵されている。寺伝によれば後白河法皇の娘笹子姫にゆかり深い仏像で、寺の創建に深くかかわっているという。義経3-5.jpg
義経3-6.jpg すなわち治承元年(1177)後白河法皇は京の鹿ケ谷で平家打倒の密儀を行ったが発覚し、平清盛により首謀者らは死罪・流罪など厳しく断罪された。この時法皇の第二皇女笹子姫は身の危険を避け、従者4人とともに武蔵国都築郡古沢荘に落ち延び、万福寺の笹合稲荷の地に隠棲した。その折笹子姫は後白河法皇から阿弥陀如来を授かっており、それをここより北東方向の高石の地に安置したという。それが現在の法雲寺という。万福寺一帯はかつては鬱蒼とした雑木林の丘陵であったが、新百合ヶ丘の大規模開発ですっかり宅地化され、笹合稲荷は消滅してしまった。今は新百合ヶ丘駅前の新百合山手通り沿いの一角に笹子稲荷として移設されて残されている。ちな みに笹合稲荷のご神体は狐の上に乗る笹子姫像という。なお同じころ平氏打倒で鎌倉の頼朝の元に馳せ参じた義経一行も、おそらく東国での活動の中で笹子姫を訪ねることもあったろうと想像できる。
義経3-7.jpg 法雲寺を出て元来た外壁沿いの小道を下り、そこから時計回りに小道を進めば丘陵を縫う広い車道に出る。左折すると車道は高石から千代ヶ丘を縫う長い下り坂に入る。200mばかり下った辺りからはゆったりと右へカーブしてゆく。ほどなく新百合山手大通りとのT字路『もみじヶ丘公園東側』に出る。左折すれば万福寺地区を抜けて新百合ヶ丘駅へ向かうのであるが、ここは道標にあるもみじヶ丘に立ち寄ることにする。T字路を右折しすぐ左へ入る分岐道をとるとそこがもみじヶ丘公園である。そこから新百合山手大通りに平行して南へ伸びる丘陵一帯は『万福寺さとやま公園』として整備されている。この辺りは戦国時代に上杉氏と後北条氏が戦った小沢原古戦場ではないかとの話がある。万福寺さとやま公園内の『円形広場』から丘陵裾を縫う爽やかな『緑の道』を採ると、やがて新百合山手トンネルの入口付近で公園を出て、再び新 百合山手大通りに入る。ちなみに先の円形広場から丘陵尾根道の『さとやま散策路』を採れば一層快適な丘歩きが出来る。(つづく)


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