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論語 №98 [心の小径]

三〇七 子のたまわく、詩三百を誦(しょう)するも、これに授くるに政(まつりごと)を以てして達せず、四方に使いして専対(せんたい)すること能(あた)わずんば、多しと雖も亦なにを以て為さん。

                  法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「詩はただの文芸のみではないのであって、人情風俗に通ぜしめ言葉遣いを美しくさせるものである。しかるに 『詩経』三百篇を暗誦することができても、政治をやらせてみると一向行きとどかず、他国へ使いに出すとひとりでは臨機応変の応対もできないようなことでは、物知りだとて何の役に立とうぞ。」

 後にも「詩を学ばざれば以て立つことなし」とある(四三〇)。

三〇八 子のたまわく、その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、
令すと雖も従わず。

 孔子様がおっしゃるよう、「政治をするには、上に立つ人の品行が第一じゃ。その行状が正しくて衆人の鑑になるようならば、命令せずとも行われるが、不正をはたらきながらいくら命令しても、人民は服従しない。」

 これは孔子様が口をすくして繰り返されるところだが、(二九五・三一五)、伊藤仁斎は左のごとく説明している。「これ聖賢(せいけん)人を治むるの常法なり。かくの如くならずして能く人を治むる者は、末だこれあらざるなり。けだし先王の治は、徳に詳(つまびら)かにして、法に略せり。法の恃(たの)むに足らざるを知ればなり。孟子いわく、人恒(つね)の言(ことば)あり、皆天下国家という、天下の本は国にあり、国の本は家に在り、家の本は身に在りと。故に能くその本を修むれば、すなわち末はおのずから従い、天下為(おさ)め難きものなし。故に聖人治平の道を論ずるに、その言毎(つね)に皆甚だ易くして近きものは、けだしこれが為なり。

三〇九 子のたまわく、魯衛の政は兄弟(けいてい)なり。

 孔子様がおっしゃるよう、「魯は周公の後、衛は周公の弟康淑(こうしゅく)の後であって、元来が兄弟の国だが、はじめ魯の国を立つるや、『尊きを尊び、.親しさを親しみ』、衛の国を立つるや、『徳を明かにし、罰を慎み』、道行われ国治まれることにおいて正に兄弟の国であった。しかるに今日の魯と衛とは、道すたれ、国乱れたることにおいて正に兄弟の国である。何ともなげかわしいことじゃ。」

 本章を「腐っても鯛」の意味に解する説もある。前の第一四一章はその意味だろうが、ここはそうではないらしい。魯は「君君たらず、臣臣たらず」、衛は「父父たらず、子子たらず」、負けず劣らずの現状をなげかれたのである。

三一〇 子、衛の公子荊(けい)を謂う。善く室に居る。始め有るにいわく、いささか合えりと。少しく有るにいわく、いささか完(まった)しと。富(さかん)に有るにいわく、いささか美しと。

 「公子荊」は衛の大夫。荊という公子(若殿)ではない。

 孔子様が衝の大夫荊を評しておっしゃるよう、「かれは住み方を心得ている。はじめ家財道具がはいったときに、『相当間に合います。』と言った。すこし整ったときに、『だいたいそろいました。』と言った。十分に出来上がったときに、『ずいぶんけっこぅです。』と言った。常に足ることを知る心がまえが、まことに奥ゆかしい。」

 中井履軒(りけん)次ぎの如く説明した。「始め有るは、これ未だ合わざるなり。荊はすなわち認めて以て合えりと為してこれに安んず。少しく有るは、これ合うの時にして未だ完(まった)からざるなり。荊はすなわち認めて以て完しと為してこれに安んず。富に有るは、これ完きの時にして未だ美ならざるなり。荊はすなわち認めて以て美なりと為してこれに安んず。(中略)寡(か)欲の人大概この意思有り。」


『新訳論語』 講談社卯術文庫


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