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批判的に読み解く歎異抄 №2 [心の小径]

悪人正機説と本願ぼこり(造悪無碍)
          立川市光西寺住職  渡辺順誠
(はじめに) 『欺異抄』と親鸞の異同 (何がどう異なるのか)
『欺異抄』の「悪人正機」を親鸞思想の中心思想として肯定する立場(同)と、そうでない立場(異) 2

 それからついでですけど、教科書的には、法然が念仏だけで救われるという専修念仏の教えを明らかにして浄土宗という宗派を開き、その法然の教えを弟子である親鸞が「深めた」とか、「さらに一歩進めた」とか、今まではそういう語り方が一般的にされてきたのですが、最近浄土宗の教団から、そんなことを主張する証拠があるのかというクレームが付き始めているようです。これにはいろんな意味があると思います。おそらくこれまで浄土真宗の方が勢力が大きいものだから、なかなか浄土宗側から言えなかったのではないかと思います。でも最近やっぱりもう言わざるを得なくて言い出したというか、そんなこともありまして、仏教はこんなもんだろう、浄土宗はこんなもんだろうと、我々が一般的に考えていたことを大分修正しなきゃいけない、考えを改めなくてはいけないってとこに来ているのだと思います。
 教科書の記述が少しでも変わるってことは、相当な議論があって変わるので、今述べた変化もそういうことなのです。さて資料の1ページに戻ってみましょう。初めの「『歎異抄』と親鸞の異同」というところですが、『欺異抄』は長らく親鸞と一緒だと思われてきた。その場合は大体「悪人正機」が親鸞の中心思想だと考えられていて、そして、まあ大体『歎異抄』をみんな肯定的に見ていた、ということですね。悪人でも救われる、いや悪人こそ救われるという教えを明らかにして下さったことによって、言ってみればこんなダメな私でもこのままでいいのだと、そういう安心感を多くの人に与えてきたのだと思います。そういう意味で親鸞の教えのエッセンスが『歎異抄』には語られているんだと長らくそう思われてきた。しかし今言ったみたいなことで、教科書の記述も変わらざるを得ないほど、本当は達うんじゃないのってことがだんだん言われるようになってきたわけです。
 そこで、違うと言う人たちの著作を見ると、『歎異抄』と親鸞は違うと言う場合、『歎異抄』はやっぱり親鸞を捻じ曲げているんじゃないのと『欺異抄』を批判する人が多いです。それは資料の注の1の文献(石田瑞磨『歎異抄-その批判的考察-』春秋社、1984年〔新装版〕、遠藤美保子「親鸞の他力思想と悪人正機説に関する再検討-造悪無碍説批判を中心にー」『仏教史研究』32、1995年、「『欺異抄』と親鸞の思想の異同に関する一考察-「本願ぼこり」を中心に-」『日本宗教文化史研究』2(2)、1998年、等)に大体書かれてあります。
 しかし、『欺異抄』と親鸞は違うということを分かりながら尚且つ『欺異抄』を評価する人がいるんですね。それをちょっと紹介しときます。近代において『欺異抄』を広めるのに大きな影響力を持った人の一人である暁烏敏(あけがらすはや)がこういうことを言っています。

 『歎異抄』に書いてあることが、たとい歴史上の親鸞聖人の意見でないにしたところが、そんなことはどうでもよい。もし歴史上の親鸞聖人が、『欺異抄』のような意見を持たなかった人であるとすれば、私はそんな親鸞聖人には御縁がないのである、なんらの関係もないのである。
 そうすれば私の崇拝する親鸞聖人はぜひ、この『欺異抄』のとおりの意見を有したる人でなければならぬ。私の渇仰する親鸞聖人はこの『欺異抄』の人格化したる人でなければならぬ。ゆえに私の宗教の開祖としての親鸞聖人は、確かにこの『欺異抄』と同じ意見を有した人であるに違いない。(暁鳥敏『歎異抄講話』講談社、1981年、27ページ)

 これは滅茶苦茶な論理ですよ。『歎異抄』と親鸞は違うことは分かっているけど自分好みの親鸞であってほしいから、自分の好みじゃないところを全部切って捨てる。これは親鸞像の捏造です。暁烏敏はこういう形で『欺異抄』と親鸞を一緒くたにして『欺異抄』を広めたわけです。こういう態度はよくないと思います。本当は違うと思っているのに一緒だと言うのは意図的・確信犯的な捏造だと思います。さてこれをはじめに申し上げておいて第三条の「悪人正機」の問題に入っていきたいと思います。


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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