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論語 №95 [心の小径]

二九九 樊遅(はんち)、従いて舞ウ(ぶう)の下(もと)に遊ぶ。いわく、敢えて徳を崇(たか)くし、慝(あしき)を脩(おさ)め、惑いを弁(べん)ぜんことを問う。子のたまわく、善いかな問いや。事を先にして得ることを後(のち)にするは、徳を崇くするにあらずや。その悪を攻めて人の悪を攻むることなきは、慝を脩むるに非ずや。一朝(いっちょう)の忿(いか)りにてその身を忘れて以てその親に及ぼすは、惑(まど)いにあらずや。

                   法学者  穂積重遠

 樊遅がお供をして雨乞台のほとりを散歩しながら、「どうぞ教えていただきとうござります。おのれの徳を積み、胸の底にかくれた悪を除き、惑う心を明らかにするにはどうしたら宣(よろ)しゆうござりましょうか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「いいなあその質問は。自分のなすべき仕事をズンズン行って、損得問題などはあとまわしにするのが徳を高くすることではあるまいか。他人の悪のとがめ立てをするよりはまず自身の悪を責めかえりみるのが、隠れた悪心を除くことではあるまいか。一時の腹立ちまざれに、たとえば人を殺傷するような事をしでかして、わが身を亡ぼし近親にまで迷惑をかけるのは、惑いの甚だしいものではあるまいか。善を行い、悪を改め、怒りを制する、これが徳を高くし、悪心を除き、惑いを去るゆえんである。」

 子張の同様な質問(二八八)に対するのと、孔子様の答がまた異なる。例の、人を見て辻を説くものである。

三〇〇 樊遅、仁を問う。子のたまわく、人を愛す。知を問う。子のたまわく、人を知
る。樊遅未だ達せず。子のたまわく、直(なお)きを挙げてこれを枉(まが)れるに錯(つ)けば、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅退き、子夏を見ていわく、さきにわれ夫子に見えて知を問う。子のたまわく、直きを挙げてこれを枉れるに錯けば、能く枉れる都をして直からしむと。何の謂ぞや。子夏いわく、富めるかな言(こと)や。舜(しゅん)天下を有(たも)ち、衆に選びて皐陶(こうとう)を挙げ、不仁者(ふじんしゃ)遠ざかれり。湯(とう)天下を有ち、衆に選びて伊尹(いいん)を挙げ、不仁者巌ざかれり。

 「挙直錯諸枉〔直きを挙げてこれを枉れるに錯けば〕」は前にも出ている。(三五)説明日その部分に譲る。

 樊遅が仁とは何かをおたずねしたら、孔子様が、「人を愛す」と言われた。知とは何かをおたずねしたら、孔子様が、「人を知る」とおっしゃったところ、樊遅に、「人を知る」の意味がわからなかったので、孔子様はさらに、「直きを挙げてこれを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむ。」と説明した。樊遅にはまだ十分のみ込めなかったらしいが、あまりしつこく質問するのもいかがと思ったとみえて、その場はそれで引きさがり、その後子夏に会ったとき、「この間私は先生におめにかかって、知とは何かをおたずねしたところ『直きを挙げてこれを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむ』とおっしゃったが、どういう意味でしょうか。」と問うた。子夏が答えて言うよう、「さても内容豊富なお言葉かな。舜が天下を治めたとき、衆人の中から選び出し賢人皐陶を採用して宰相としたので、不仁な者どもが遠ざかり、股の湯王が天下を治めたとき、衆人の中から選び出し賢人伊乳を採用して宰相としたので不仁者どもが遠ざかった。先生が『人を知る』と言われるのは、そこなのだよ。」

 樊遅はあたまはあまりよくないらしいが、熱心な質問家だ。『論語』六カ所に出てくるのがみな質問だが、馬車を御しながら質問したり、散歩の途中におたずねしたり、わからなければ兄弟子に説明してもらったり、いい心がけだ。樊遅がはじめに達しなかったのは、仁はあまねく、知はえらぶ、というところは矛盾すると思ったのだろう。そこで孔子様が善人をえらぶのは悪人を捨てるのではないということを説明されたのである。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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