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渾斎随筆 №51 [文芸美術の森]

法隆寺金堂の焼損について   

                 歌人  会津八一                

 ずつと前のことであるが、ある雑誌で法隆寺の壁畫の保存についていろいろの人たちの意見を集めたことがある。その時に私は次のやうに答へた。
 保存保存といくら大騒ぎしても、いつまでもあの古い壁の保存が出来るものでない。中國の唐時代前後には、都合でも田舎でも、寺といふ寺に壁畫が流行したことがあって、その数は幾千にも幾萬にも上った。けれどもいまではみんななくなって、ただその影響で出来たこちらの法隆寺の金堂に最後の光彩を留めてゐるのである。が、これとても人間世界にある以上、いつどんなことで滅びるかも知れない。また何も特別なことが起らなくとも、目に立って見えぬうちに、毎日少しづつ崩れてゐる。そこで模寫といふことになるが、模寫をするにしても、いっそいまのうちに思ひきつてあの十二面の壁畫をあのまま切取つて、もつと安全な装置を作り、その中へ移してからにするがいい。そしてそのあとへは、現代の畫家の中から十二人を選んで、一人に一面づつ新規に揮毫させるがいい。その筆者には、よく西方浄土とその佛菩薩の性能や形式について必要なだけの知識を輿へ、大體の構図の統一ぐらゐは注文をつけても、その他はその筆者自身の藝術的欲求のままに描かせる。かうしておけば古美術の保存にもなるし、同時に現代作家を刺戟し現代の美術として意味のある活動を期待することが出来る。
 私のこの意見はその當時は一場の暴論としてお寺でも憤慨してゐたやうに聞いてゐるが、私はあくまでも私の意見が採用されなかったことをくやしく思ふ。殊にその模寫をする人達の不注意から起つたといふ火事ならますますくやしい。

                   『毎日新聞』昭和二十四年一月二十八日


『会津八一全集』中央公論社

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