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じゃがいもころんだⅡ №24 [文芸美術の森]

中村汀女とわたし 2

                  エッセイスト 中村一枝

 今思うと、何とも恥ずかしい話だが、私はその時、大学の国文科の四年生であったのに、中村汀女という名前をまったく知らなかった。俳句については、五、七、五の定型とか、芭蕉の話は物語として読んで知っていたが、それ以上の興味はなかったのだ。一度、家の食卓で、中村汀女さんについて、話題になったことがあった。父が、一、二回何かの席で一緒になったという話だった。もの静かで、あまりしゃべらない人だと言った。その時はもちろん、中村家との間に、結婚話が持ち上がるなど誰も考えていなかった時だ。父は、何度か、汀女さんを見かけたが、言葉を交わしたことはないという。公の席での汀女は、大柄な体をひっそりと身を縮めるように座っていたらしい。汀女という名前がすこしずつ知られるようになり、マスコミの話題になったのは、それからしばらくしてからである。
 初めて逢ったのは当時新橋駅前に店があったレストラン小川軒、父は若いころからこの店を好きだったらしい。その二階の席に紹介者の婦人記者Mさんと、汀女が入ってきた。思っていたより肥っておらず、着物をさりげなく着ているところとか、うしろに束ねた白髪まじりの頭髪とか、感じのいい老婦人だった。むしろ私の父のほうが緊張していて、椅子をひいたまま、まごまごしている。汀女は「まあまあ、ご挨拶はあとでよろしいじゃございませんか」と言って、さっさと自分から椅子をひいた。そのさばさばした態度が、私にはとても快かった。俳人というからにはもっともったいぶった人だと思っていたからだ。
 汀女は当時、五十を四つか五つ越えた年齢、一見してきれいな人だと思った。汀女の後ろから入ってきた、対照的にやせた男が長男、湊一郎だった。一瞬、私は心の中で、落胆とも納得ともいかない妙な気持を味わった。
 食事がおわりに近づいた頃、汀女が「あなたたち、外でも行ってすこしお話したら」と言ってくれた。
 まだ秋には間のあるさわやかな夕方だった。私たちは有楽町近くのコーヒー店に入った。初めて間近に向き合って、やっぱりやせている、というのが第一印象、大きな目と整った鼻筋、顔面通りにいえば歌舞伎の役者にでもありそうな、いい男だった。どちらかといえばふっくらた男性が好みだった私にはあまりにも細々と見えたのは確かである。私はちょっと気の抜けたような気分で、気兼ねも何もなくなった。一人で好きな犬のことから始まって庭の薔薇づくりの話まで、自分の興味のあることを一人で喋りまくった。その間、彼はにこにこしながら私のくだらないおしゃべりを聞いていた。
 その晩、早速汀女さんから電話があった。一回や二回逢っただけじゃ何にもわからないよ。無理だよ。返事なんて。
 結局、私たちが結婚したのは一年近くたった次の年だった。

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