SSブログ

じゃがいもころんだⅡ №22 [文芸美術の森]

今も生きている父

             エッセイスト  中村一枝

 山茶花が散り始めると冬が始まる。今年はちょっと早かったとか、いつもより遅かったとか思いながら、毎年それを繰り返して年をとっていく。山茶花は咲いては散り、咲いては散り、めまぐるしく変わるけれど年はとらない。その点人間は春が来るたびに暖かくなってうれしいと思いつつ、でも鏡を見ると一年毎に確実に年をとっていく。私の父は66歳で亡くなった。今の私の年から見てもずいぶん早く亡くなったんだなと思う。でも当時の私は66歳というのはかなりのおじいさんだと決め込んでいた。年は取っていたが、父はとっても気分の若い人だったと、いま思う。
 父が60代のはじめ頃、私は恋をした。もともと惚れっぽいたちだが、その時は真剣だった。相手は父のところに原稿を取りにくる編集者の人だった。その人に目が行ったのは今でいうコーデネイトがとてもお洒落で、身についていた事だった。今から5、60年前のことである。男のオシャレは少しづつ広がっていたが、今とはとても遠い時代、一介のサラリーマンとしてはかなりお洒落に気を使っていたと思う。とりわけネクタイの好みがとても良い。実は私は毎年父のお誕生日にはネクタイを送ることにしていて、その時期になると、銀座の裏通りをよくひとりで歩き回った。男物のお店をほっついて、気の利いたネクタイを探して歩いた。裏通りの男ものの店はたいていのぞいてみた。だからネクタイに関してはかなり目が高かった。
 彼がうちに来た時、玄関先にコートを畳んで置いていく。それはたいていの場合紺色だった。それも安物のコートではない。そんなことも少女の心を掻き立てる。それにまた靴下がおしゃれだった。いつもうちにやってくるお客さんは、靴下に穴がなければ良い方で、靴下に気を使うなどと言う人はまず稀だった。彼がさり気なく畳んで置いていく紺色のコートは、手に触ると生地の良さがほのかに伝わってくる。学校から帰って玄関を覗くと、紺色のコートがさり気なく置かれていると、それだけで身体中ホカホカしてくる。わたしの言動は、あまりに分かりやすくて誰にもわかってしまうらしい。お手伝いのかずちゃんまでニヤニヤしているのだ。以来ずっと目がはなせなくなった。
 父が彼のことを好きだったのは確かである。昼すぎから夕方、たいてい夜遅くまで、膝も崩さず父の相手になっている。それが編集者の仕事といえばそうだろうが、そこまでした人はいたって珍しい。父は父で彼が来るとそれだけで上機嫌になった。私はほとんど料理運びとお酒のお替りを運ぶくらいしか仕事はないのだが、彼が向こうの部屋にいるだけで満たされていた。父は、私が彼のことを好きと気づいた時からいつも暖かい眼差しを向けてくれていた。その間母は常に冷静に、私と父を眺めていたらしい。いま思うとおかしいが、どっちが小説家だったのかと思うくらいだ。小説家としては娘の気持ちに肩入れしてしまったと言う弱みはあるにせよ、当時父は本当に些細なことにまで私の恋心に同調してくれたと思う。その時の父の気持ちが今もなおよみがえる。まるで恋人同士のように家の中で母の目を盗んでコソコソしていたその時の父と私の気持ちを、何十年たっても思い出せる幸せが不思議である。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。