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渾斎随筆 №41 [文芸美術の森]

友人吉野英雄 2    

                  歌人  会津八一

 藝術の修行はいばらの道だといふが、私のやうなものの、かうした扱ひを受けながら、長い間を一日のやうに、吉野さんの進んで来られた道は、いばらの道どころか寄りつくすべもない断崖も同様であった。獅子が子を産んで三目すると千仞の谷へ蹴落して、すぐかきついて登って来るのでないと養はないといふが、そんな酷らしい育児法が、獅子にも虎にもあるものでない。山に捨てられた人間の赤ン坊の頑是なさに、乳房で育て上げた狼の話もある。けれども、それはあくまで赤ン坊のことで、手足の揃った五尺の男子が、いやしくも藝術に志を立てて、一生涯を賭して成否を問ふといふことになれば、いつまでも、なま温るい乳房などをあてにすべきではない。藝術に専念して精進するならたより無さは子も親も變りはない。吉野さんを二十何年振り向かなかったといふ私自身もまた、誰からも振り向いて貰はずに、心もとない修行を今もつづけて、四十年にもあまるのであるから、云はば御互に親不知、子不知の境地である。
 世間には、もつと親切げな、暖かさうな師弟の間柄は、いくらもあるらしいが、手を取ったり尻を押したりして貰って、獨り歩きが出来るやうになるのは、ありがたいとしても、そのうちに、歩きつきや後ろ姿までが師匠そっくりになる。それをば同門の間などには、自慢にしたり羨まれたりすることもあるかもしれぬが、大きく開いた曇りのない藝術の眼から見れば、いづれもつまらぬことである。師匠の癖や好みをそのまま頂戴して身動きもならないやうな御弟子さんを、世間にはよく見かけるが、そんなものを藝街家とも文学者とも申上げることはできない。
 とにかく、吉野さんは、かうした荒い修行のはてに、一昨年あたりから、ことにめきめきと、めざましい進出をして、その作品は今や如何なるあかの他人をも瞠目させずにはおかなくなり、近頃いろいろ出て来る大きな文藝雑誌や綜合雑誌の上で、一つの異彩になって、ひたむきな、清潔な、強い感情に、引き締った、上品な、しかも自由で強靱な表現を與へて、堂々と闊歩される婆は、いかにも壮観である。そして私の一番に嬉しいことは、吉野さんの歌の何処をきても、単語でも、調子でも、私の歌に何一つ似たところが無いことである。吉野さんは、平素私のほかに子規、節、左千夫、茂吉等の先輩に対しても、いやしくもせぬほどの敬意をささげて居られるが、これらの人々の味も旬も吉野さんの作には現はれて来ない。いはば吉野さんの歌は、全然吉野さんのものとなってゐる。これでこそ半生の真剣な修行の甲斐があったといふものであらう。
 私は、つひ最近に出た「創元」の創刊号で、四号字で盛り上げられた壹百余首の吉野さんの歌を、聲をあげて朗讀してみたが、感激のために、何度も聲を呑んで、涙を押し拭った。そしてつくづくと思ひに耽った。
 そして恩ひ出すのは吉野さんのところに、たしか今もかかってゐることと恩ふ一画の額である。私は最初のうちは吉野さんとは、手紙だけで御つきあひをしてゐたが、よほど後になってはじめて、鎌倉の御宅をたづねた。八幡横の正面の松並木から右へ折れるとすぐ、大きな洋館で、廣々とした立派な建物であったが、玄関から、曲りくねった廊下傳ひに奥へ通るうちに、とある部屋の壁に、ふと私の目を惹いた額がある。足をとめてよく見ると、私の手紙で、すなはちあの、萬巻の書を読まず、千里の道を行かざるものはといふのを、そのまま表装させたものであった。その頃吉野さんは肺がわるくて、安静の明け碁を、何年もこの額を眺めて居られたのであるといふ。                   
                  『夕刊ニイガタ』昭和二十二年三月五・六日


『会津八一全集』 中央公論社


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