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渾斎随筆 №36 [文芸美術の森]

 書道界に對する疑問

                       会津八一

 私は年来書道がすきで、いろいろその道の書物なども讀んで見、また世間の様子をも、窃にうかゞつて居るものであるが、久しい間一つの疑問がある。その疑問が比の事變以来ますます強くなって来た。この疑問は私一個としての疑問ではあるが、恐らく日本の国民にとって、この疑問の解決が差迫って非常に重大なことではないかと恩ふ。
 それは書道に於ける日本と支那との関係に就てゞある。支那には三千年以前から書と云ふものがあって、今日まで盛に行はれてをる。その中に昔から支那人の云ふ所の書道といふものが隠然存在してゐる。書は元来實用のものであったが、實用以前に書道と云ふ精神的な大きな存在となってゐる。そしていま一つ重大なことは歐羅巴人などの餘り気のつかぬことであるが、書は支那に於ては一つの美術である。即ち實用のものであって美術價値を兼ねてゐるのである。
 ところが吾々日本人もまた久しく書をもってをり、そしてその中には日本風の書道と云ふものが認められてゐる。そしてその日本風の書道の中に日本精神が宿ってゐると説明する人がだんだん澤山出て来た。それはいかにも尤もな事であって、ぜひさうなければならぬ。そして日本の書道もまた美術的價値を持たなければならない。然るに元来日本の書は支邦から渡って来たものであり、日本人特有のかなと云ふものでさへも、實際は支那の文字の一部分から派生したものであったり、或はその草體から變化して生じたものであったりするので、つまり其所に本末、師弟の関係があり、したがって、歴代の日本人が支那の文化、ことに書道に対して非常な尊敬を抱き、傾倒し来ったのであるから、支那と日本の書道は餘り甚だしく離れてゐるものではない筈である。
 しかしまた同じ支那でも時代によっても、また地方によっても、時としてはそこに興亡した民族によっても、書が折々その面目を改めて乗たことは事實である。そのやうに、海を隔てた日本がいつ迄も遠い昔の支那の書道と全く同じ理想を持って行かなければならないことはない。それ故に此の頃人々の唱へるやぅに、其庭に日本的特色を強く認めると云ふことは、この場合として最も當然でそして有益なことであらう。
 しかしながら日本精神を見出すことが、この時局に際して特に必要になったといふのであれば、われわれはもう一歩進めて此の問題に再検討を加へてみなければならぬ。なぜかと云ふと、事變以前は、日本は日本、支那は支那で、お互に別な国、別な民族で、その間に多少精神的な差があって、互に一致せざるものがあつても、格別差違はなかった。然るに只今強く唱へられてゐるものは興亜と云ふことである。その要點は日本人が指導者となって、全體の東洋の文化的活動を進め且つ高めると云ふことにあるから、日本は支那とは異る精神を持ってゐるやうな、稍々狭い考へ方をして居るだけでは、そこに日本人の特色や誇を明にすることが出来ても、支那人の手を引いて彼等を導いて進むといふ大事業の成就の為には、効果をしてかへって少からしめるのではないか。私はこの點に強い疑を持つのである。
 つまりわれわれが英国人や亜米利加人を東洋文化的に指導すると云ふならば、日本在来の書道及びその精神でよろしい。しかし支那はそもそも日本に文字や書道を教へた国であり、支那人は今でも常にこの事を意識して彼等の語としてゐる。その支那人に対して極めて狭い意味の日本的書道によって指導を輿へやうとするにしても彼等をして満足してこの指導を受けしめることは甚だ困難である。
 そこでもはや孤立した日本ではなく、今では亜細亜の盟主となって東洋文化の、殊に書道に於ては源泉であるところの支那の国民を導くのであるならば此の際に於て一つの大なる覚悟の下に、彼等をして日本書道の指導を甘受せしめるにさきだつて、吾々の方から、もつと胸襟を開いて、そして従来よりはもつと熱心に、先づ彼等の書道を阻噂し、玩味し、同化し、吸収して、吾々自身を、より高く向上させてかゝる必要があるのではないか。これこそ吾々のためにも、彼等を指導するためにも最も適切な準備ではないか。これが迂路に似てしかも捷径ではないか。
 もしその用意がなくて徒に狭い日本の特色のみを偏重し、強調すると云ふだけであれば、狭い意味での我が国の面目は立つとしても、眼前に横はるところの興亜と云ふ大事業は実現しにくいと云ふ結果になるのではないか。これが先づ私の疑問として識者の教を乞ほんとするところである。
 かく申せばとて、私は支那書道の尊重についても疑ひなきものではない。現在の日本の書道界を見渡すに、さきに述べたやうな狭義の国風尊重家でなければ、そのほかはみな純粋に支那的な傾向の書家及び書學者があるだけのやうである。今日我が国では支那の書道は歴史上未だ曾て見ざりしほど盛に研究もされ、練習もされて居り、幾多の手本や参考書が発行されてゐるに拘らず、支那の書道に封する、ほんとの意味で書道的、或は美術的な批評に出あふことは殆ど稀である。
 支那の歴代の書家の遺作には優れたものが極めて多いが、これに支那の書學者が歴代に於て加へ来った處の批評は、云ふまでもなく非常に價値のあるものである。しかし日本の書道家たちはこれ等の批評の原文を、その儀に直詩的に讀み下して、それをもって自分自身の批評であるが如くにして居ることが多い。これは實に驚くべきことゝ云はなければならぬ。一方に於て、日本の書道の優越を唱へてゐる人がある程であるから、日本人には自ら日本人の見方がなければならない。もし吾々が眞に吾々自身の目を以て観察するならば、支那人自身が観察した結果とは、いくらか異なる批評が成立しなければならない筈である。しかるにそれが全然無いといふことは日本の書道家のうちでも、専ら支那書道に敬意を払う人々は、全く批評眼を持って居ないのか、それとも、その批評眼のあることを、わざと示すことを好まないといふことになる。これが私の平素から、不可思議なことゝして疑ってゐる一つの點である。
 そこで今の日本の書道界は興亜といふことが唱へられてゐる際であるのに、一方にはその目的を犠牲にしても日本書道以前を顧みない人々と、そしてまた一方には鑑賞批評の主體たるべき自家の主観を全然放棄して、支那人の日によってのみ書道を観察し評價しやうとする人々と、此の二種の人々の封立以前に何物もないやうに私の目には映じて居る。これで果してよいであらうか。決してよい等がない。しかしやはりこれでよいのであらうか。これこそ私の持つ最も大なる疑問であり、同時に最も深き憂慮である。
                                           『書道』第一巻第四号
                   昭和十九年十二月


『会津八一全集』 中央公論社

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