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対話随想余滴 №15 [核無き世界をめざして]

対話余滴15中山士朗から関千枝子様

                 作家  中山士朗

 五月二〇日、日高さんから余滴14のお手紙が送られてきました。その時、関さんの退院が25日に決まったことが伝えられ、共に安堵したことでした。三カ月の療養生活の間、さまざまな感慨がよぎったことでしょうが、どうぞ、焦ることなく、ゆっくりと事を運んでください。
 前回頂いたお手紙に、「海ゆかば」についての考察、それに伴う「萬葉集ブーム」、元号が「令和」に変ったことによる若い世代の人々の、意識の低さについて述べられていましたが、私も同感しながら読ませてもらいました。そして、「平成は戦争がなく、ンよかったと言いますが、私から見れば、この三十年、限りなく戦争に近く、戦前の趣を呈しているように思えてならなうのですが」という趣旨の言葉がありましたが、その通りだと思います。
 関さんの手紙が届いた翌二十一日の新聞に、丸山穂高議員の発言問題が発生したことが伝えられました。これは北方領土へのビザなし交流訪問団に同行していた十一日国後島の宿舎で酒に酔い、元島民の団長に「戦争でこの島を取り戻すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」と質問し、元島民から厳しい批判が相次いだと言います。日本維新の会では、十四日に除名処分にしましたが、与党はけん責案を衆議院に提出しましたが、野党からの議員辞職勧告決議案は否定されました。この野党の決議案に対し、丸山議員は「言論の府が自らの首を締めかねない」と反発し、辞職を否定しています。
 こうした事実を新聞、テレビの報道で知ったとき、私は、戦争を体験したことのない世代の発言だとは思いましたが、歴史から何も学んでいない人間が国会議員になっていることの恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
 前回の四月二十二日付の手紙に、偶然に「令和」という元号が、萬葉集からの典拠だという説明について、私は「安倍首相もやはり戦争を知らない世代の人だと思いました。知らないというより、歴史から学ぼうとしない宰相としか思えません」と書いているのです。繰り返しになりますが、萬葉集と言えば、私たちの年代の物は、すぐさま戦時中にしばしば歌わされた「海ゆかば』に直結してしまうのです。
   海行かば水漬く屍
   山行かば草生す屍
   大君の辺にこそ死なめ
   顧みはせじ

 こうした私個人の感情と機を一にした川柳が、五月三日の朝日新聞の西木空人選による七句のうち二句が選ばれているのが目に止まりました。
    「憲法を守り」が令和で「のっとり」に  福岡県 牧 和男
    おおきみの辺にこそ死なめと説くなよな  広島県 廣田 勝弘

 安倍政権はこれまで安全保障関連法を成立させ、集団的自衛権の行使や多国軍の後方支援拡大への道を開いてきました。その一方で戦後七十年以上たち、戦かを知る世代は少なくなっているのが現状です。そんな状況の最中、安倍政権は憲法に自衛隊明記、憲法改正に躍起になっているのです。改元を利用した政治の在り方に疑問を抱いている最中の丸山発言でした。この宰相にしてこの議員あり、と簡単に言って済ませることではないと思うのですが、『一億総活躍時代へ』の言葉に、戦禍を体験し、記憶している私たちにはいつ一億一心 火の玉や、一億玉砕、総決起に振り代わるかも知れない、という危惧の念が生じて来るのです、ましてや、失言した大臣を抱え、その湿原のためのマニュアル迄作成しなければならない政府のこと、何が起こるかわかりません。丸山発言は、まさしくその象徴のように私には思われてなりません。
 暗い話になってしまいました。この辺で打ち切ります。
 このところ、私たちの「ヒロシマ往復書簡」を呼んだ人たちから、いい仕事をしているとの評価をいただき、嬉しく思っています。その評価の背景にあるのはブログで読むのと本になって読むことの違いが指摘されていました。ブログではその時点で書かれたことしか読まないけれども、本になるとその前後と関連しながら読むのでいっそう理解が深まるという趣旨の言葉が多くありました。
 それというのも知の木々舎の厚意によって、七年簡にわたって発表の場を与えて出させているおかげだと思っております。関さんも、私の年齢相応の病気を抱えておりますが、「核なき世界のために」のコーナーで執筆していることの幸せと感謝の念を抱いているのではないでしょうか。死ぬまで書き続けるという意思の現れは、ここから始まっているような気がします。

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