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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №100 [文芸美術の森]

エピローグ 7

          早稲田大学名誉教授   川崎 浹

ソルジェニーツィンが放った「とどめ」

 ロシアにおいては、アネクドートふうにいえば闇が「目をつぶった共産主義」を生みだしたのだが、同時に闇がこの国のカオスモスと民衆のエネルギーを、そして沈黙を背景にした反権力の市民たちの切っ先を生みだした。
 仮にアネクドートがサブカルチャーで、かげろうのように短い生命しか持たぬとしても、アネクドートの精神と形式は、正統ロシア文学にも、時間をかけて浸透している。アネクドート的発想はロシアの詩人や作家たちの発想をつちかった。
 たとえばそのひとり、ロシアを代表するノーベル賞作家にソルジェニーツィンがいる。共産主義は二〇世紀イデオロギーのもっとも壮大な実験だったが、ソルジェニーツィンはこれと闘い、その成果を『収容所群島』で問うた。もし二〇世紀を代表する著書を一〇冊あげよといわれれば、私はひとまず『収容所群島』をあげたい。
 ところが、その『収容所群島』の冒頭の一説が、ほかならぬアネクドート的発想と構造から成っていることに気づいた人がいるだろうか。
 群島はあるにもかかわらず場所は不明である。群島を訪れる者がいるにもかかわらず、イントゥーリストも出札(しゅっさつ)係も場所を知らない。交通機関があるにもかかわらず、行く先の標示がない。すべてが二律背反の関係に置かれている。訪問者と群島の管理人の関係も例外ではない。
 読者を具体的にはどんな場所へ、どのように導くのかわからぬ文章の展開もまた推理小説的なプロセスをたどる。そして旅行先には「警備」という思いがけぬ障碍(しょうがい)が設けられていた。
 しかも以前の近代アネクドートが抱えていた「ニュース性」「ひじょうに珍しい出来事」「無さそうで、しかも実際にあったこと」の条件にさえ適(かな)っている。そして最後はまさにアネクドートそのもののとどめで、この場合、もちろんバレエシューズの爪先ではなく、人生をまっぷたつに断ち切る鋭い剣の切っ先である。

 この不可思議な「群島」へはどうやって行くのか? そこへは絶え間なく飛行機が飛び、汽船がかよい、列車が轟音をひびかせて走っていく。だが、飛行機にも、汽船にも、列車にも行き先の標示はいっさいない。出札係も、ソ連人の旅行を斡旋(あっせん)するツーリストや外人旅行者の世話をやくインツーリストの係員も、もしあなたがそこへ行く切符がほしいといったら、それこそびっくり仰天するだろう。「群島」全体はもちろん、その無数の島々の一つとして彼らは知らないし、聞いたこともないからである。
 「群島」の管理に行く者は、内務省の学校をへてそこへ行く。「群島」の警備に行く者は、軍事委員部をへてそこへ行く。
 そして私やあなたのようにそこへ死に行く者は、必ず一つの関門を通らねばならない。それは逮捕である。(第一章「逮捕」)

 「私やあなたのようにそこへ死に行く者」の一句で、この一節の文脈の逆転劇が生じ、二律背反性のなかの「一律」がぎらりと顔をのぞかせる。「それは逮捕である」という、この切っ先のとどめはどこへ向けられているのか。読者へか、それとも逮捕される者へか。ちがう。それは縛吏(ばくり)を逮捕に向かわせる権力にたいして放たれた切っ先であり、とどめである。このアネクドートととどめの背中には「死に行く老」そして死の世界に消えた者の沈黙がある。そこから『収容所群島』の執筆がはじまり、同時にこの書によって揺るがせられた体制の、二〇世紀ロシアの倒壊がはじまる。
 何百万といわれる収容所犠牲者の「エートス」が、つまり無数のアネクドートを生みだした精神とも霊とも魂とも倫理の規範ともいえるものが、ソルジェニーツィンを執筆にむけてつき動かした。『収容所群島』は地球をかけめぐり、世界を動かした。
 ロシア二〇世紀のシステムをソルジェニーツィンはアネクドートの構造でかかえこみ、アネクドートでとどめを刺した。ソ連体制はアネクドートの「エートス」によって瓦解させられたといえるだろう。
 このアネクドートには笑いがないというかもしれない。しかhし二律背反、二項対立の構造には一項と一項とのずれから生じる笑いの要素が基層としてある。『収容所群島』はペシミスチックな嘆きではなく、権力を笑殺(しょうさつ)する精神によって満たされている。アネクドートは嘆くものではなく、あくまでも笑う精神の様式である。   (完)


『ロシアのユーモア』 講談社選書


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