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浜田山通信 №237 [雑木林の四季]

朝鮮と天皇と沖縄と

             ジャーナリスト  野村勝美

 2月24日「3・1朝鮮独立運動100周年集会」が文京区民センターであり、のぞいてみた。三一万歳運動ともいわれ、若い頃から関心があった。しかし100年も昔のこと、私もいつしかどんな事件だったか記憶が薄れていたが、どうもこのところ日韓関係がおかしい。慰安婦問題なんか韓国の国会議長が「天皇が慰安婦に直接会ってすまなかったと一言いえばすむ問題」と述べ、徴用工問題でも「盗っ人たけだけしい」と日本政府を批判した。韓国人には日本の植民地にされた怨念が根強く残っている。日本人はそんなこととっくの昔に忘れている。朝鮮についてはら致問題は許されんしかない。植民地時代のことなどもう70年以上も昔のこと。まして100年も前のことは聞いたことさえない人が大多数を占める。
 私は子供の頃から要所要所で朝鮮人と付き合いがあった。だから彼の国にも関心を持ち続けていたが、もう本で得た知識などとっくに失くなっている。集会に出かけたのも再勉強のきっかけになるかもくらいの気持ちだった。
 会場は300人くらいのホールで大部分は年寄り。でも私よりはみなさん若い。女の人が半分以上いたようだったし、関係の諸団体が数多く、ある種の高揚した気分があった。5時すぎまで報告やら記念講演やら朝鮮学校生の合唱やらでいささかくたぶれたが私は満足した。
 この日天皇の在位30年式典が政府主催で行われた。私は今の天皇に若い頃から特別の感情は持っていなかった。年も少し下だし、子供の頃は「皇太子さまお生まれになった」(?)とかいうお祝いの歌で紅白の饅頭をもらうのは嬉しかった。敗戦後は”チビ天”扱い、ミッチーブームも何も関心外。ただオヤッと思い出したのは、天皇になったあと'01年暮の誕生日会見でのいわゆる”ゆかり発言”以降だった。「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫」といい、それはつまり自分に朝鮮の血が混じっていると述べたことだ。これは続日本紀にも出ているわけだから歴史学界では周知のことだったが、公然とこのことが学界などで論争になったこともなく、下々の間で話題になったこともなかった。私はこの時の天皇に初めて親近感を抱いたように思う。
 天皇は全国の被災地へ、ヒロシマ、ナガサキ、サイパン、ペリリュウ島からフィリピン、中国にも慰霊と激励を謝罪の旅をつづけた。朝鮮半島にはどこよりも先に行きたいと念願したと私は思うが、ついに天皇在位中は思いをはたせなかった。天皇は象徴であり、政治には関わらないという建前があって、彼は朝鮮については何もいえずに象徴天皇をあと2か月で退位する。いまはご苦労様でしたというだけだ。日本国の為政者というか主権者は、象徴などという訳のわからない地位を一人の人間に与えてあがめたてまつる、この不可思議な構造が私にはわからない。もう一つ、沖縄の県民投票。辺野古埋め立て反対が7割超だったが、政府は知らぬ顔で埋め立てをすすめる。もはや沖縄は「独立」するしかないのだ。もともとが琉球王国だったのだから。

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齋藤良一

野村勝美 様

冠省

何度も野村さんの文章を読ませていただき、
野村さんのような素晴らしい文章家が
この地域にお住まいであることを幸福と思いました。

改めて、初めて感想をお送りします。
益々のご健筆をお祈り致します。

                    敬具

齋藤良一拝
by 齋藤良一 (2019-03-13 18:26) 

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