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多摩のむかし道と伝説の旅 №22 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

-鑓水商人の夢の跡、絹の道・浜街道をゆく-2

                    原田環爾

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22-1.jpg また八王子の大善寺の本堂の傍らに江戸時代文政年間に建てられた機守神社という小詞がある。白22-2.jpg滝姫を祀る神社で養蚕・織物業者の信仰対象になっている。発祥の群馬県桐生市では白滝神社と称するが、八王子では機守神社の名で祀られている。これにはこんな伝説がある。天平時代のこと、孝謙天皇に仕える白滝姫という類稀な美しい女性がいた。姫を見た上野の役人山田舎人は姫に恋い焦がれ慕情を歌にして送った。これを知った天皇は舎人の心を哀れと思召し姫を山田の妻にすることを許した。上野国に下った姫は養蚕や機織りの道を興した。姫の没後人々は姫を養蚕や機織の神白滝観音として祀った。一方文政の頃八王子宿に与平という老人がいた。ある夜夢の中に白滝姫が現れ機織りの秘法を授かった。与平は大変喜んで、白滝姫の姿を模写し大善寺の傍らに小祠を建て機守神社として朝夕礼拝したと言う。
22-3.jpg 22-4.jpgまたこんな伝説もある。鑓水に近い相模原市の淵野辺にある皇武神社には蚕守神大神の祠があり、養蚕の神おきぬ様を祀っている。おきぬ様信仰とは、皇武神社の氏子の家で養蚕の忙しい時期に人手がなくて困っていたところ、神主の娘が手伝いに現れてきぱきと仕事を片付けてくれた。ところが仕事が終わって一段落すると、娘はたちまち白蛇となって神社の拝殿の中へ消えいった。これは神社の神様が神主の娘に姿を変えて手伝いにきてくれたにちがいないと・・・。以来養蚕の時期になると、蚕のお礼と娘の人形「おきぬ様」を受けに大勢の人々がこの神社を訪れたという。
22-5.jpg さて話を絹の道・浜街道に戻そう。絹の交易を担った人々は大きく分けて二つある。一つは信州・甲州・上州から生糸を仕入れて八王子から開港場の弁天通りまで運んだいわゆる浜出しと呼ばれた鑓水商人、もう一つは横浜で外国との直接取引を担った弁天通りの生糸売込商である。前者の鑓水商人には八木下要右衛門、大塚五郎吉、大塚徳左衛門、平本平兵衛など巨万の富を築いた豪商がいた。一方後者の生糸売込商には原善三郎、小野善三郎、三越得右衛門、茂木惣兵衛、吉田幸兵衛等がいた。明治6年~7年の1年間でこの5家で全取引の74%を占めたという。生糸売込み商人は後に政財界で名を成すのに対し、鑓水商人の繁栄は長くは続かなかった。石垣大尽と呼ばれた八木下要右衛門は殺傷事件を機22-6.jpgに没落、東の大尽と呼ばれた大塚徳左衛門は火災で身代すべてを失い没落、平本平兵衛は密貿易が発覚して全財産没収されて没落と、栄華を極めた鑓水商人は相次いで没落した。彼等のかつての繁栄を伝える遺構は少ない。鑓水商人の名を刻んだ釜貫谷戸の慈眼寺の梵鐘、鑓水峠往来の安全を祈念して大塚五郎吉らが遣水峠に建立した道了堂跡、八木下要右衛門や大塚徳左衛門が寄進した鑓水の鎮守諏訪神社の石灯籠などがあるに過ぎない。ちなみに八木下要右衛門の屋敷跡は今は絹の資料館となり、道了堂は昭和38年の堂守婆の殺人事件を機に解体撤去されている。(つづく)


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