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立川陸軍飛行場と日本・アジア №173 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

   東京府連合青年団大会

             近現代史研究家  楢崎茂彌
 
  1月22日に、「立川飛行場物語」の著者である三田鶴吉さんが亡くなりました(享年94歳)。僕は知らせを受け、29日に行われたお通夜に参列しました。お焼香の長い列が続き、会場には立川観光協会会長・立川民俗の会会長などを歴任し多方面で活躍された立川の名士の逝去を惜しむ供花があふれていました。この連載も立川市中央公民館発行の「昭和記念公園は飛行場だった」の聞き取りも、三田さんの著書に触発されて始めたものです。三田さんのご冥福をお祈りします。
 
  東京府連合青年団大会、都立二中で行われる
 昭和8(1933)年5月23日、東京市・八王子市・南多摩郡・北多摩郡・西多摩郡の青年団の代表1300人が一173-1.jpg堂に会する、東京府連合青年団第六回大会が、立川町にある府立第二中学校(現都立立川高校)大講堂で行われました。
青年団とは、江戸時代の若者組などの流れをくむ地方ごとの組織でした。大正時代に明治神宮の造営を担当した内務官僚田澤義鋪(よしはる)が明治神宮造営に青年団の力を借りたことから、全国の青年団をまとめる大日本連合青年団が組織されます。田澤は内務省を辞めジュネーブで行われた労働者会議に労働者代表として参加したり、東京府の助役になったりしたのち、大正15(1926)年日本青年館と大日本連合青年団の常任理事となり、“青年の父” と呼ば173-2.jpgれました。彼は青年団の特色を、①自然発生団体であること、②自治的であること、③地方単位を有しつつ国家的連絡を有すること、④青年の社会生活の団体であること、⑤一般的な修養をつむこと、としています(「青年団の使命」田沢義鋪選集 田沢義鋪記念会1967年刊)。同書によると、青年団の活動は、補習教育・禁酒禁煙・道路橋梁補修・農事講習会・野球・俳句会などなど多岐にわたりますが、田澤は青年団の国家に対する使命を次のように説明しています。“青年団は苗圃のようなものである。青年団という苗圃で育てられた、強壮なる身体を持ち、剛健なる精神を有し、快活なる情熱と、優秀なる能力とを具備した立派な苗木は、あるいは保守党の山にも、自由党の山にも、また労働党の山にも移し植えられるであろう。資本家地主の畑にも、小作人労働者の畑にも移し植えられるであろう。この苗圃が健全なる苗木を供給するがために、いずれの政党も、いずれの階級もいずれの職業も、健全なる国民によって組成されるということが青年団の国家に対する大使命である。”
  僕は“大日本連合青年団”という名称から、国家主義的な団体だと思っていたのですが、田澤義鋪の考えは極めてまっとうなもので、自分の不明を恥じました。
  それはさておき、東京府連合青年団第六回大会の冒頭、香坂東京府知事が“国際連盟脱退から今日まで一見順調に進んでいるが決して安閑としている場合ではない。特に青年の覚悟は重大である。この際青年は意に満たざるところはどしどし改めて、時代の悪風に染まず常に純情であってほしい。また自負心を戒め国家観念に立脚して行動し、青年らしく雄渾雄大の気魄を失わぬよう希望する”と告諭します。そのあと祝辞があり、5人の若者が5分間演説を行います。
 
  若人の叫び
   大会で行われた5人の団員の研究体験発表の要旨を「東京日日新聞・府下版」(1933.5.24)は“若人の叫び”として紹介しています。
  東京市連合青年団代表勝叉藤七君
  “「元日や今年もあるぞ大晦日」この句を更に進めて、昨日苦しんだ大晦日を忘れるなという、元日の覚悟を以て励みたいと思う。青年団の仕事はいろいろあるが教導隊を設置し各区の分団から班長一、二名が参加して幹部教育を行い根本的に訓練したいと思う。”
  八王子連合青年団代表関根信治君
  “日本精神ということが大切である。産業の振興もこの精神でやらなくては駄目、明治維新は廿歳前後の青年が仕上げた。今日の困難な時代は青年の意気で産業の隆盛に力をつくし、精神的には皇室と国家繁栄を心掛けて、奉公の街道をひたむきに進みたい。”
  都市部の若者の演説の内容は抽象的ですよね。
  北多摩郡連合青年団代表篠宮喜一君
  “非常時はわれ等の肉弾で蹴飛ばすような心身の鍛練が必要である。野良仕事が終わったら剣道柔道をやって、心身を練ることが大事だ。満州に活躍する兵士を思えば、われわれ青年の覚悟は大事である。”
  南多摩郡連合青年団代表田中清壽君
  “農村青年の使命として若人の熱を希望する。現在の青年は青年時代を享楽時代と思い、百姓は馬鹿らしいと考え、暇さえあればカフェやバーで飲む事を考える。これでは農村は一層光を見いだし得ない。私は村に農事研究会を組織して篤農家の訪問、肥料の研究、出荷の研究とかいろいろな改良を試みている。どんな苦境にあっても屈せず励めば必ず助ける神があって、こうした苦心の結果は効果を収めている。どうか現在の農村青年は村を捨てずに更生させる事に努力して貰いたい。”
  西多摩郡連合青年団代表濱中市造君
   “現在の青年の要求するものはわれわれ青年の日本魂である。こん濁の中にあって生気ある動脈に波打たせるものは青年の心一つだ。思えば青年は政治にも関心を持って私利私欲に走る政治を排撃しなければならない。支那が匪賊の跳梁や軍閥の搾取に塗炭の苦を嘗めているのも為政者が悪いからである。われわれは青年団としては、政治的行動を禁じられているが、実生活を持った農村の青年として悪い政治の改革につとめたい。”
173-3.jpg  郡部からの発言には2.26事件につながるような雰囲気を感じます。
  このあと、青年団生みの親である田澤義鋪大日本連合青年団常任理事が登場し“各自が自己の立場を忠実に守って、常に研究を怠らず実生活の感激を味わって一歩一歩踏みしめて、空論な左傾もせず暴力を揮う右傾も排撃して公民教育に力を尽くし、お互いの村を町を市を、より美しくより良くする自治体の完成に邁進する事が、日本国家の前途に輝かしい光を与えるもので、国運を起こすも倒すも諸君青年の覚悟一つである”と青年達をたしなめるような講演をしています。
173-4.jpg 大会がおわり昼食を摂ったあと、一同は飛行第五連隊格納庫前に集合し、八八式偵察機と乙一型偵察機を見学します。そして八八式偵察機が射撃訓練、空中戦闘、無電通信などを披露しました。陸軍は、夏に予定されている関東防空大演習に青年達を動員するつもりなのでしょうか。青年団が、田澤義鋪の考えとは違う方向に誘導されて行く予感がします。
 
  がんばる荒畑金藏氏
  立川陸軍飛行場の南に建つ荒畑金藏氏の二階家が飛行の妨げになり、第五連隊の頭痛の種だったことは連載NO.102で紹介しました。山口貯水池工事のために立ち退いて、3年前に立川町に土地を購入した5戸のうち4戸は建築前のために陸軍との交渉で土地を売り、家を建てた荒畑さんのみ補償金額が折合わず住み続けているわけです。
住み始めて3年、日々飛行機の爆音に悩まされ、一軒家なので電気も引かれずランプ暮らしをしている荒畑家の人々は神経衰弱になり、若干の補償金で立ち退きを希望しているという噂がたちました。そこで、記者が取材に174-5.jpg行くと、金藏氏は“私の方からそんな希望を出したなんて飛んでもない。何とか話にのってくれないかと憲兵さんが見えたので、うちでは前に申しあげた通り他へ引移るに足りるだけの補償がもらえさえすれば、いつでも立ち退きますといったのです。飛行機ですか、うるさいどころではありませんよ、なれるととても気持ちのよいもので、日曜に飛ばないので淋しくて困ります。電灯は、会社でぜひ入れてくれといって来ますが、電線が邪魔になると悪いので遠慮しているのです。”(「東京日日新聞・府下版」1933.5.21)と、最強の国家権力といえる陸軍を向こうに回して堂々と渡り合っていますね。
  記事は、荒畑氏は飛行の邪魔になると知らずに越したもので、陸軍が提示した補償の金額が荒畑氏の提示金額の3分の1に満たないので決裂したと、やや荒畑氏に好意的です。第五連隊側は荒畑氏の提示額を支払うと、家主の言いなりになる前例となるので補償金アップには慎重です。
  困り果てた第五連隊当局は、“航空地帯法”を制定することで解決を図ろうとします。第五連隊副官の野田少佐は次のように語っています。“いわば飛行場保護法です。これは要塞地帯法に次ぐ必要なもので将来ぜひ設けなくてはならないものでしょう。…立川飛行場が一戸の家のために苦しんでいる事はとても一般の人の想像以上で、夜間飛行の際など離着陸は命がけである。”
要塞地帯法は、建物については次のように定めています。
 第九条 要塞地帯ノ第一区内ニ在リテハ要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ左ノ各号ノ一ニ該当スル行為ヲ為スコトヲ得ス
 一 家屋、工場、倉庫其ノ他ノ工作物ノ新築、改築又ハ増築
 ……
 これと同様な内容では、新築・増築は出来なくても、既に建っている家屋を撤去することは出来ません。どうするのでしょうね。それにしても、陸軍といえども議会に航空地帯法の制定を働きかけて解決しようとする“法の支配”を重んずる姿勢をとっていることに意外な感がします。
 因みに、ビードル号のパングホーンとハーンドンが罰金を科せられたのは、青森の要塞地帯上空を飛行し、要塞地帯法第7条に触れたからです。
 第七条 何人ト雖要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ要塞地帯内水陸ノ形状又ハ施設物ノ状況ニ付撮影、模写、模造若ハ録取又ハ其ノ複写若ハ複製ヲ為スコトヲ得ス但シ軍機保護法ニ特別ノ規定アルモノニ付テハ其ノ規定ニ依ル

写真1番目   つめかけた代表者    「東京日日新聞・府下版」(1933.5.24)
写真2番目   現在の都立立川高校    著者撮影(2019.2.14)
写真3番目   飛行機の説明を聞く一同 「東京日日新聞・府下版」(1933.5.24)
写真4番目   工事中の第5連隊格納庫敷地   著者撮影(2019.2.14)
写真5番目   問題の家        「東京日日新聞・府下版」(1933.5.21)


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