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フェアリー・妖精幻想 №102 [文芸美術の森]

仮面劇。シェイクスピア、バレエ、オペラ 4

             妖精美術館館長  井村君江

ヘンリー・パーセル作曲の劇音楽『妖精の女王』

 十七世紀後半のイギリスを代表する作曲家であるヘンリー・パーセル(一六五九?-一六九五)は、王室付属礼拝堂少年聖歌隊の一人として、音楽の道を出発し、ウエストミンスター寺院のオルガン奏者ともなり、わずか十八歳で王室弦楽団の常任作曲家となって才能を表わした。
 彼の劇音楽は一六九〇年から亡くなるまでの五年間のあいだ作曲されている。『妖精の女王』(全五幕)は一六九二年、前年に『アーサー王』、一六九四年には『嵐』、『インドの女王』ほか四十曲を次々と作曲していて、この年は驚異の年(アヌス・ミラピリス)であった。
 『妖精の女王』の台本はE.セットルともバーセル自身だという説もある。トマス・ペターンの演出で、一六九三年、ドーゼット・シェターガーデンで上演された。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』を大幅にカットしたいわば五幕の改作版で、ヒポリタは登場せず、各幕は、転身の場面で終わるようになっていた。池に白鳥を浮かべてドラゴンに仕立てたり(一九七八年に筆者がケンブリッジの野外劇で観た時は花火があがった)、「シナの庭」という一幕があったり、搭乗する妖精の中にモブサという名の妖精がいたり、アポロや中国の人々がいて踊るというように、バロック音楽と劇とバレエのスペクタクル
中心のオペラともいえるようである。
 ついでに記せば、パーセルの死後オペラのスコアが紛失し、劇場に返却してほしい旨の広告が.一七〇〇年に出た。その時は発見されず、一八三七年頃にオルガン奏者のR・l・S・スティヴンスが入手して、ロイヤル・アカデミーに保管されていることがわかったのが、一九〇三年のことであった。
 ヴォーン・ウィリアムズがケンブリッジでの上演をすすめ、やっと初演後二二八年経った一九二〇年に復活上演が実現したのである。
 その七年後にはロンドンのルドルフ・シュタイナー・ホールでも上演されている。
 『妖精の女王』は野外劇としては初めてドイツのエッセンそして、フランス語でブリュッセルで上演され、コンスタント・ランバートがイギリスでもコヴエント・ガーデンの野外で上演するとよいと主張し、それ以後しばしば野外で演ぜられるようになっている。
 コンスタント・ランバートはこの『妖精の女王』を三幕に縮少し、「ドラマとオペラとバレエの要素をもった仮面劇」としてアレンジし直し、サドラーズ・ウェルズ・バレエ団の上演台本として、一九四六年にコヴェント・ガーデンで上演した。
 コンスタント・ランバートは、この他にも『オベロン王の誕生日』の群舞をサドラーズ・ウエルズで演出している。この時もパーセルの音楽を使っている。shかし、ここで興味深いことはこの作品が『妖精の女王」の四幕とミルトンの『コマス』に基づいていることで、曲はロウズとパーセルの違った七曲を使い、モダンバレエの名手ロバート・ヘルプマンが振り付けをしていることである。
 ランバートはパーセルが改作のために削除したものを、もう一度シェイクスピアの方へ戻そうと意図しており、オベロン、ティタニア、パックの三人に焦点を当て、インドの取り換え児(チェンジリング)をめぐってオベロンとティタニアが月夜にいさかいをする森の場面を幕開きにもってきている。


『フェアリー』 新書館

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