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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №96 [文芸美術の森]

エピローグ ユーモアとロシア人 1

           早稲田大学名誉教授  川崎  浹

 アネクドートはユーモアではない、とロシアの学者クルガーノフはいう。しかし、同じロシアのアネクドート学者のセドーフはクルガーノフに真っ向から反対し、アネクドートはユーモアであると主張する。
 辞典によっては、ユーモアは面白いこと、滑稽なこと、おかしなこと、微笑をさそうような内容を意味していて、皮肉や風刺とは区別している。しかし、英国のユーモアが皮肉にみちていることは誰でも知っている。『西洋思想大事典』(平凡社)ではユーモアはまた風刺とも融けあっている。やはり笑いにさまざまな変容があるように、ユーモアもお国柄に応じて変わると考えたほうがいいのではなかろうか。皮肉や機知や風刺でいろどられるロシアのアネクドートはユーモアの一種類である。
 さらにいえば一種類どころか、ロシア一国内ですら時代とともに幾通りものタイプに変容する。一八~一九世紀のアネクドートは貴族たちの手になる、時間のリズムがゆっくりした、おおらかな作品である。そこには短いながら「物語」があり、登場人物も宮廷人や上層階級である。
 さらに形式が洗練されるにしたがい、短い物語がいっそう短くなって教訓や箴言の傾向も加え、最後のとどめが機知と笑いで磨きをかけられ、二〇世紀に受け継がれるものとしてアネクドートが完成する。
 一八世紀から一九世紀にかけて変質したアネクドートは、二〇世紀になってさらに大変革をとげる。現代アネクドートは近代アネクドートの編みだした形式を借りながらや「革命」と内戦時代の殺戮(さつりく)をくぐって、さらに辛辣なとどめを考案することで、その風刺の矛先を支配層というよりは権力層といったほうがふさわしい体制そのものに向けて、放つ。こうしたアネクドートの機能は前世紀にはまったく考えられないタイプ、もしくは小ジャンルを構成するとさえいえる。

三角関係が崩れたとき
 貴族たちのアネクドートは、スポーツに喩えればポールのやりとりをする相互のコミユニケーショソにすぎなかったが、同じ遊戯でも、共産主義時代のアネクドートは市民同士のコミュニケーションでありながら、さらに権力体制が一枚くわあって三角関係が成立する。
 ソ連時代のアネクドートは緊張を要する三角関係の中心にあって、たえず均衡をとりながら存在しつづけてきた。つまりアネクドートは抑圧された市民の不満を晴らす安全弁であるが、特定の市民がアネクドートに熱中しすぎたり、アネクドートの内容がよほど「祖国誹誘(ひぼう)」的な「悪質」なものだったり、アネクドートを利用する密告者がいたり、時代が箝口令(かんこうれい)をしくに等しい抑圧の厳しい時期だったりすると、三角関係のバランスが崩れ、アネクドートの発信者は収容所に送られた。
 近代アネクドートは逸話的で、写実的な傾向が目立ったが、現代アネクドートは非写実的、寓意的、隠喩的、象徴的である。それは近代アネクドートの最終的に洗練された方法をとりいれた結果であるが、それを採用せざるをえなかったのは、レーニン、スターリン時代には体制への直接的批判にたいする制裁が厳しく、反権力的「犯罪」への不参加のアリバイを成立させるために、かげろうのようにできるだけ痕跡を残さず、短時間で口頭のコミュニケーションをすませる必要があったからだ。
 もちろん、二〇世紀にアネクドートが活性化するのは、ロシア民族の笑いと検閲への特別の才能に支えられてのことである。彼らの笑いへの感性は政治、社会状況の抑圧のもとに突然変異的にあらわれたものではない。プーシキンの近代的アイロニーについてはすでにのべたが、ゴーゴリの重層的な「存在論」的ともいえる笑い、シチェドリンの風刺、ドストエフスキイの諧謔、チェーホフのユーモラスなアイロニーを生みだす一九世紀ロシア文学と、アネクドートを潜行させる二〇世紀の民衆は同じ土壌のなかで生きている。


『ロシアのユーモア』 講談社選書

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