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ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №95 [文芸美術の森]

金持ちロシア人を嗤う 7

                 早稲田大学名誉教授  川崎 浹

戦争終結以上の願い

 新ロシア人のしめくくりにふさわしい作品にはどれを紹介すればいいだろうか。古典アネクドートもしくはロシア文学の伝統に立ち、かつ個人的な笑いに終わらず、現代社会を映すものでなければならない。
 私たちはプーシキンがビヤーゼムスキイと並んで、文学としてのアネクドート・ジャンルの確立に功績があったことを思いだそう。さらにプーシキンは民話ジャンルの確立にいっそうの成果を残している。かれは口承民話を聞き取りし、自分流にアレンジして、数編の民話詩を書いた。そのなかに『漁師と魚の話』(一八三三年)という詩があり、老漁師夫婦と金の魚が登場する。
 三三年稼業をつづけてきた漁師が、ある日、三度目の網をかけると金の魚がかかった。魚は三拝九拝していった。「じいさん 海へ放しておくれ、身の代たんとあげるから。お望み次第のものあげる」。家に帰るとばあさんが話を聞いて怒った。「あんたは大馬鹿、まぬけだよ! 身の代さえも取れないなんて! せめて桶でも取ってこい、うちのはすっかり壊れてる」。じいさんはちょっぴり荒れ模様の海に戻って、金の魚に桶を頼む。こうしてばあさんの欲望がふくらみ、二度目に家、三度目に召使い付き宮殿となり、じいさんも顎で使われる。ばあさんはこれにもあきたらず、海の領主になって金の魚を使用人にしたいといいだす。じいさんが海にくると、海は真っ暗荒れ模様。話を聞くや金の魚はなにもいわずに消えてしまう。じいさん家に戻ると、「目の前にゃまた土の小屋。敷居にばあさん腰かけて、前にゃこわれた桶ひとつ」。
 プーシキンの民話はおとなにも子どもにも愛唱された。一九世紀の天才詩人プーシキンの金の魚が、新ロシア人アネクドートではじめて復活した。いくつものヴアリアントのなかでは、つぎの作品が先述の条件をもっとも満たしている。

 新ロシア人が金の魚を獲った。
 「どうか情け深いお方。青い海に私を返してください」と魚は懇願した。「そしたら、あなたのどんな望みでも三度果たします」
 「いや、四つだ。最初に三つで、それからさらに一つ。」
 「民話では三つだけということになっていますが」
 「あんた、臭うニシンだ!おれはあんたをすぐに乾かして酒の肴にしよう。それなのに、おれに何か命じる気か」
 「わかった、わかった。四度にしましょう。では問いをかけてください」
 「一〇〇万ドルもらいたい」
 新ロシア人の前に100万ドル入ったバッグがあらわれた。
 「じゃぁ、今度はチェチェン戦争を終わらせてほしい。あの戦争ではおれほ損ばかりしているからな」
 「いえ、これはわたしの手に負えませんね。大きな政治問題で、高位高官の大物たちがやることで」
 「干物にするか!」
 チェチェン戦争は急速に終わりに近づいた。
 「さあて、今度は二組のグループを和解させてもらいたい。一つのグループはおれから金をまきあげ、別のはおれを守ってくれるが、彼らどうしで争ってるんだ」
 「いや、その要求は非現実的です。かれらは互いに憎みあっているのだから」
 「やっぱり酒の肴にするか!」
 双方のグループは早急に手打ちをはじめた。
 「さて今度は最後のお願いだ。妻がまれに見るワニのような女でね。離婚を望まないので、こりゃだめだとわかった。殺そうと思ったが、彼女もそれで警護をつけて歩いている。こうなったらあれを美人に仕立てて、性格をやさしく善良にしてもらいたいんだ」
 新ロシア人は書類入れから写真をとりだし、魚に見せた。こちらは長いこと、見入っていた。
 「な、な、なあるほど……それで、さっき、あんたは干物のことを口にしたんだね?」

 四〇万人のチェチェン・イングーシ人が一九四四年、ドイツ軍への協力を口実に、スターリンの命令によって中央アジアに半死半生で追放された。九四年末にはじまったチェチェン戦争はロシア軍に多大の損害を与えたが、五〇年前のつけがまわってきたにすぎない。強欲な登場人物が魚に和平を依頼するのは人道上の立場からではなく、自分の利益からである。彼はどうやらチェチェンと関係のあるマフィアらしい。その人物が最後に頼みこんだのが細君のことで、その顔のあまりのおぞましさに、金の魚も四番目の頼みがもっとも困難な課題だと思いはじめた。時代的なスケールの大きさにおいても、夫婦のもめごとへの急激な転換においても、荒唐無稽なこと、このうえもないアネクドートである。
 時代と社会の変化によって新しいタイプの人間が登場し、これを写しとるアネクドートの形も質も大きく変化したことが認められる。
 このアネクドートには伝統の下敷きと社会の時事性がそなわり、おちまでついているが、おちは機知の切っ先でもなければ、優雅な爪先立ちのプアントでもない。しかし、民話仕立てで新ロシア人を風刺する、荒唐無稽の面白さとダイナミズムがあることは事実だ。


『ロシアのユーモア』 講談社選書

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