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渾斎随筆 №22 [文芸美術の森]

奈良美術に就て

                            歌人  会津八一

 趣味といふ物を世人の中には外から附加へる事が出来るかの様に思ふ者が多い。金が溜ったから多少趣味を有たねほならぬとか、又紳士として趣味がなくてはならぬというて、書、謡曲、撞球等に入門してこれらを自分の飾りか何かにしようと思ふ人が少くない。「沐警して冠す」と言ふ言葉の如く、この種の趣味と言ふものは風が吹いても冠が飛ぶかも知れぬ。私等の観る處では人間には趣味を持ち得る性質が自然的、本質的に具はってゐる。のみならず、吾々は複雑性を有してゐるだけに、相当に多趣味であり得る素質があると思す。私は随分雑多な趣味を持って居る一人として、所謂心ある人からは或は冷笑の的となるかも知れぬが、却て之が人間としての本来の姿でないかと思ってゐる。
 然し遺伝は遺伝、天性は天性としても個人は何處までも一個人である。其内に己に於て始めて見出し得る何ものかを含まなければ、自然界に於ける進歩の理法にも悖(もと)り、一個人としても恥づ可きものではなからうか。教へられた通り美術、音楽、演芸等を習ひ了せたとしても、教へられたそのまゝでは情けない。其を指して生きた人間の生きた趣味とは言ひ兼ねる。
 さし当って趣味的に何を考へてゐるかと言はるれば、私は奈良美術を以て最も興味を感ずるものの一であり、趣味の生活内容としてゐるのであると御答へしなければならぬ。
 奈良美術と言ふと若い人には、ア、叉古い話かと思ふ人が多いかも知れぬが、然し世界美術史の中、最も華々しいギリシャ彫刻末期の活動が、アレキサンダー大王の東征と共に印度に影響を及して佛教美術の上に非常な刺激を與へ、其が又支那に傳はり、或は間接に朝鮮から或は直接に支那から日本に傳はり、吾大和民族が始めて此世界的の芸術的活動のカーレントに興奮して美術的活動を興した。それが奈良美術であると言ふ意味から、今一度それを見なほしたならば、まんざら見逃す訳には行くまい。
 明治の早い頃伊太利のフェロノサ氏が、日本人よりも率先して奈良美術の難有さを日本人に説いたのも之だ。又最近佛大使のクローデル氏が吾々の写した写真を見て、日本の奈良にこんな彫刻があるのかと言うてわざわざ奈良迄見に行かれたのも其為であると思ふ。
 昔の日本人は儒教に封する信仰から、真正面より佛像を禮拝して其難有さも美しさも同時に感じたらしい。然し吾々としてはそれ程の信仰はないから、側面より見て此像が何程美しくあり得るかを、今一段見なほす餘地があるかも知れぬ。叉遠くギリシャの事を考へても、昔は肉體を完全な彫刻に濃厚な色彩を施して民衆はそれを讃美した。然るに二千年餘りの歳月の為に、色は剥げ、像は砕け、眞白な大理石の頭許り、或は胴許り、戒は手足許りの彫刻をする人が出て、近代人はそれが彫刻そのものの本来の週間であるかの様に思ふ人さへ多くなった様であるが、朗らかな気持ちで遠い昔と遠い未来とを、見渡し得る少数な人々の気持ちから言へば、ロダン等のやり方は彫刻としての或変則的な一例であって、彫刻には悠遠な広い天地が別に存在する事を私等は信じてをる。そして其信念は奈良美術の研究から得てゐる。なぜかと言ふとギリシャの彫刻に於けるが如く、日本の奈良の彫刻も殆ど凡て最初は何等かの色彩を帯びて居った事を知って居るからである。然るに今日の大理石の彫刻石膏像になれた人は、私の彫刻色彩論を聞いただけでも沸然として芸術の神聖を害された様な単純な抗議を申出るかも知れぬが、それは目の前の御手本に捕はれて美術そのものの本来の精神を了解してゐないからである。私は十数年来奈良美術の美しさと其価値とを充分玩味し、又之を世人に宣博する事には多少努力して来たつもりである。最近一人の写真師を捕へて私の思ふ存分の方向から、思ふ存分な部分を撮影させてもう既に千種餘りの写真が出来てゐる。之はクローデル氏を感服させた種類のもので、巴利の有名な美術商にも売捌かせる事にしてある。いさゝか東洋美術の為に気焔を吐き得るかと信じてゐる。
 私の趣味は佛教美術に限る訳ではない。然し如何なる趣味のデパートメントに私が馳せても、私のオリジナリティと私のキャラクタリスティックスが没却されない様にして、始めて其虚に趣味と言ふ言葉が有意義に当はまると思ってゐる。


『会津八一全集』 中央公論社

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