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にんじんの午睡(ひるね) №45 [文芸美術の森]

娘の命日

                       エッセイスト  中村一枝

 また今年も娘の命日がきた。11月30日。当時の親友二人が今年もお参りに来てくれるという。50年も前の、昔の友だちだ。とうに50を過ぎた彼女たちの変わらぬ友情と若さに驚いている。えりかちゃんは生まれた時に隣同士で、赤ん坊の時からの親友、いわば姉妹(きょうだい)のような仲だ。あっちゃんは小学校の時からの仲良し、家も近いせいもある。よく一緒にあそんでいた。娘の残した日記にはいたるところにあっちゃんが出てくる。えりかちゃんは学年が違っていたし、あっちゃんは中学になると私立へ行った。ともだちはどこでも一緒といううものでもないらしい。ふたりとも心の友ということにはかわりはない。その二人がとても魅力的な女の子(?)なのに未だに独り者というのも不思議である。10月の末というのはだいたい穏やかな秋日和がつづく。娘の死んだ年もそうだった。母親にとっては、いつまでも娘を忘れずにいてくれる二人の存在はとても嬉しいものだ。
 じつはもうひとり、娘が亡くなって初めて気づいたともだちもいる。娘はどちらかといえばしっかり者で、わたしなどはひそかに頼りにしていた。死んだ後で話をきくと、とても気配りのできる、優しい子だったという。確かにそれはあったかもしれないが、親としては親の言うことを聞かないわがままの方が先行していた気もする。というのも父親が娘を溺愛していたし、わたしは親のくせに恐れを感じていたのだ。親子というのはどこでもそうだろうが、分かり過ぎてかえって肝心のところを見落としているのかももしれない。もうひとり、塾に一緒に行っていた友人などは、娘が死んでから初めてその存在を知ったのだから、親が子供をどこまで理解しているかなんて全く怪しいものだ。
 娘は20代の半ばに、神経症、もしくは分裂症と診断された。親としてはショックだった。今はどんな病気も研究が進んで、いろいろの対処の方法があることもわかってきたが、当時はわたしも夫もショックの方が大きかった。甘やかして育てたと言う負い目、その病気への無理解・・・、今思うと残念でしかたが無い。最後の時、「ママのトンカツを」と言ってくれたその言葉を何度思い出しても涙が出る。いまさらどんなに悔やんでも帰らない娘のためにも、その友人たちと楽しい1日を過ごしたいという思いである。生きていくというのはとてもつらいことをがまんしていく、そんな積み重ねではないかと思っていると、「今更何言ってんのよ」という娘の声が聞こえる。楽天的で呑気な親を持つと大変なんだよ。。。。。
 昨日娘が通っていた通学路を通った。娘のいた頃と全く同じ風景。わざわざその狭い電信柱と道の間にしゃがみこんでみる。楽しそうにおしゃべりしている。反対側にはいくらでも空間があるのに、そのひっついたざわめきがとてもなつかしかつた。娘の命日には、私の得意なカレーライスと決めた。

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