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猿若句会秀句選 №91 [ことだま五七五]

猿若句会特選句集  91(2018年11月17日)

                      猿若句会会亭  中村 信

 空也忌に何はともあれ南無阿弥陀仏   伊藤 理
 枯野より見る灯台の白さかな   大橋一火
 一筋の流れ残して滝枯るる   中村呆信
 ありなしの生けるものの気枯野原   丸本 武
 大枯野大の字に寝て空を抱く   内野和也
 何となく拾ひたくなる木の実かな   高橋 均
 何やかや先に延ばして小六月    児玉竹子

◆猿若句会十一月例会の特選句集です。例によって一句だけの短評から始めます。
[短評]  [空也忌に何はともあれ南無阿弥陀仏 理]。不思議な句が今月の最高点句に選ばれました。忌日俳句は難しいと言われるなかで作者を除くと過半数に近い四人もが特選句に選んだのが第一の不思議です。おそらく作者を含めて鑑賞者も、そう仏教に詳しいと思えません。しかし、「何はともあれ」と中七の普通では許されないような曖昧な措辞が。こと空也に限っては正鵠を得ているから不思議です。句意は述べるまでもないでしょう。繰り返しますが、こんな単純な句が特選に選ばれること自体が不思議なのです。強いて言えば、席題「何」を承けての句なので、即興句だと見ての評価なのかもしれません。作句の秘密を忖度しても始まりません。数ある初冬の忌日の中から選ばれたこの句の意味を乏しい知識の中から少々解説してみます。お役にたてば幸甚です。
空也は踊り念仏の祖であり、阿弥陀聖・市聖(いちのひじり)とも称せられました。名僧としてはメジャーでしょうが、名僧の中ではむしろマイナーかもしれません。醍醐天王の御落胤ともいわれ、没年も正確には分かっていません(注)。比叡山で受戒はしているが宗派には本人の意思により属していません。別に言えば超宗派だったこともその一因かもしれません。したがって宗旨ももたず、ただ「踊り念仏」と称された独特のふりで、ひたすら念仏を称えるだけでした。念仏さえ称えていれば極楽浄土に往生できるとするのです。「何はともあれ念仏」なのです
最後に下五の読み方の私感ですが「なむあみだぶつ」と真面目に読まず。「なむあみだぁー」崩して詠むか「なんまいだぁー」と訛って読むのが相応しいと思います。句評にはならず「空也」と「念仏」の補駐で終わってしまいました。
[注解]没年月日も解からないのに忌日があるのは、或る年の11月13日京都を出て東国化導に赴く際、「この日を忌日にせよ」と言って出立したとの謂いがあることによるものです。
◆句会での特選以外の秀作・佳作については中村信のホームページ《あ》[ http://saruwakakukai.web.fc2.com]をご覧ください。(ただし、該当欄が一時的に更新不能のため、同「掲示板」投稿欄にて代替しています)


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