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私の中の一期一会 №178 [雑木林の四季]

    初日から4連敗の横綱・稀勢の里が5日目から休場、引退のピンチ拡大か?
    ~「早めに痛めたところを治したい。まだいい相撲を取りたい気持ちはある」~

              アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 大相撲九州場所3日目、テレビを見ていた私は「ああ、ダメだな・・勝てないな」と思わず声が出た。
 その直後、北勝富士の突き落としで、横綱の稀勢の里はあえなく土俵に横転していた。
 これで、稀勢の里は初日から3連敗となった。横綱が初日から3連敗する場所なんてザラにあるものではない。
 支度部屋で記者に囲まれ「考えすぎか?」「切り替えていく?」「一人横綱として勤め切るのか・」など質問攻めにあっても、瞬きするばかりで横綱は沈黙したままだったという。
 稀勢の里は、髷を直し終わり着替えが終わってもなかなか立とうとしなかった。座ったまま下に落とした視線に力がない。支度部屋に重苦しい緊張感が漂っていたと新聞記事は伝えている。あまり見ない光景であった。
 夜のニュースで、稀勢の里の“休場”か“引退”がニュースになるかと思ったが、そうはならなかった。
 翌日のスポーツ報知によれば、稀勢の里の師匠・田子ノ浦親方が宿舎で取材に応じ「稀勢の里は4日目も出ます。昨日話をしたが、本人はまだやれる。“頑張る”というので背中を押すしかない」と語った。
 大怪我のため8場所連続で休場したあと、進退をかけた場所と言われた今年9月の秋場所で10勝を挙げ、復活への希望は感じさせた。
 場所前は好調というニュースも伝わっていたから3連敗は“まさか”の感じだが、いまや“前途多難”と言わざるを得ない。
 初日は見なかったが、2日目の妙義龍戦、3日目の北勝富士戦を見る限り「相撲内容がすこぶる悪い」ように思う。
 稀勢の里は、もともと右を使うのが得意ではないらしい。強烈な左おっつけ、左差しからのワザで勝機をつかむ我慢の相撲なのだ。
 3日目、立ち合いはしっかり当たっていた。左差しを狙って前に出ていったが土俵際まで押していく出足に力強さがない。“重心を低くして前に出ればいいのに”と、見ているこっちが力んでしまう。
 素人目にも、すぐ“足の踵が浮く”ように見えた。
 そうこうしているうちに、北勝富士に左のど輪で起こされ上体が伸びてしまった。私が「ダメだな」と思ったのはこの時である。
 相手の突き落としは、確かに強かったが、それにしても倒れ方が“もろ過ぎる”のだ。
 2日目の妙義龍に寄り倒された時も、稀勢の里は尻から土俵外に転げ落ちていた。 
 下半身に粘りがないから上体が早く落ちてしまうような気がしてならない。(初日に足を痛めていたことが後に判明)
 八角理事長は「妙義龍は稀勢の里を軽く感じただろう」と記者に語っているが、どの相手も軽く感じるとすれば「左さえ封じれば勝てる」と思ったとしても不思議ではないだろう。
 元大関武双山の藤島審判長は「左一辺倒で、右を全く使っていない。自分の形に拘り過ぎるのが敗因だ」と述べている。
 初日から3連敗して、4日目も土俵に上がった横綱は大乃国(現芝田山親方)ただ一人だそうだが、大乃国は4日目に勝ち、8勝7敗で場所を終えている、休場しなかったのだ。
 とにかく不戦敗を別にして、初日から4連敗した横綱は過去に一人もいなかったのである。
 稀勢の里が4日目に顔を合わせた栃煌山は、今場所は好調だった。初日に関脇の御嶽海を、3日目には大関豪栄道を破って破竹の3連勝している強敵だった。
 注目された栃煌山戦は、左を差して体を寄せ、立ち合いから一気に前に出た。だが土俵際で栃煌山のすくい投げで、二人はほぼ同時に土俵の外へ・・行事の軍配は、一度稀勢の里を指したが物言いがついた。
 検査役が協議の結果“行司差し違え”で敗れてしまった。(日刊スポーツより)
 横綱の初日から4連敗は、1931年1月場所の宮城山以来2人目だ(と言われても、あまり昔過ぎてピンとこないが・・)
 平成以降では、初日から3連敗して、その場所を最後まで務めた横綱は一人もいない。横綱の初日から4連敗は前例がないという不名誉な記録が生まれてしまった。
 稀勢の里は15日朝、福岡県大野城市の田子ノ浦部屋宿舎で取材に応じ「一人横綱で迎えた場所で応援してくださった方々に申し訳ないが『休場』することになった。悔しい思いはある」と語った。
 稀勢の里は「場所前は非常に調子よくきたが初日に負けた時、右足の新しいところを痛めてしまった。そのあとは本来の相撲が取れなかった。痛めた所をしっかり治して土俵に戻れるよう頑張りたい。まだいい相撲を取りたいという気持ちはある」と話した。
 だが、この横綱が休場するとなれば、進退問題が再燃してくることは避けられないだろう。
 場所前の定例会で、横綱審議委員会の北村正任委員長は「九州場所で休場ということになれば、何かを考えなくてはならない」と発言している。
 元大関栃東の玉ノ井親方は「仕切りの時も落ち着いているし、身体も動いている。ブランクが長いとそう簡単には元に戻らない。出続けた方がいい。休んでしまうと同じことの繰り返しだ」という意見もあったが、
稀勢の里は休場して再起を目指すことを選択した。
 しかし“引退にリーチがかかった”とみる人もいて、進退問題は当分尾を曳きそうである。
 稀勢の里は、15年振りに誕生した日本出身の横綱として必要以上に注目された。国を挙げて祝賀ムードが盛り上がっていた時、稀勢の里の父、萩原貞彦さんが新聞に寄せた手記を読んで、私は胸の詰まる思いがしたことを思い出した。
 17年1月の号に1度書いたものだが、もう一度紹介してみたい。
 稀勢の里の父、萩原貞彦さんの手記(日刊スポーツより)
『中学を卒業して相撲しか知らない純粋培養の本人は(横綱昇進で)病気になるくらい重圧を感じています。私としては大関のまま、怪我なく、身体づくりを第一に、好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。  
 横綱になってこれからが大変です。これまで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して、名実ともに模範となるような立派な人間にならなければなりません。その意味で「おめでとう」というより、「気の毒になった」というのが本音です』
 稀勢の里のお父さんの我が子を思う“親心”が痛いほど私に伝わってきたのだ。
 お父さんは、“綱の重み”に苦しむ息子が「引退する」と言って欲しかったかも知れないな・・と私は思った。

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笠井康宏

藤田さん、こんばんは。残念なことに稀勢の里はもう無理だと思います。久し振りの日本人横綱で実力以上のものを求められて肉体的、精神的にきついと思います。頑張って欲しいのですが、次の場所も惨敗で引退をさせられる気がします。
by 笠井康宏 (2018-11-18 21:03) 

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