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シニア熱血宣言 №107 [雑木林の四季]

 昔は、本当によかった

                          映像作家  石神 淳

  娘たちが結婚してから、20年余になる。時代が変わったのだろうが、家族団欒の笑い声が消え、鬱々とした毎日を過ごしている。
 娘が結婚したら、新しい人間関係が築けるかもしれないと、少なからず期待してあれこれと努力したが、徒労に終わった。
 親戚がふえても、娘婿の存在なんか、何の役にも立たず、団欒の二十五をぶち壊され、悲嘆にくれている。
 娘婿が二人とも、揃いもそろって「発達障害」とは、何という因果だろううか。対人関係を築くのが不得意で、伴侶に対する独占意識がやたらと強く、娘が実家に帰るのを、異常に嫌う。
 娘婿の異常な性格に、じっと耐えている娘親が如何に多かろうか。外からは見え難いので、察して余りある。
 そろそろ、人生の終着駅がみえてくると、「終活」をどう迎え、どう人生を取り繕うか日々悩んでいるが、これといった妙案は、なかなか思いつかない。
 最近流行りの「エンディング・ノート」を本屋で買ってはみたものの、人生の悩み事を書き入れることは、さわりがあるから、なかなか難しい。
 男なんて、それぞれ「恰好をつけて生きてきた生き物だから」本当のところは、死ぬまで恰好をつけたいところだ。
 そう言う俺も、恰好をつけて死にたい派として、人生にオサラバしたいから、なおさら悩んでしまう。 
 最近の葬式では、現役をリタイヤした高齢者の「家族葬」が多いから、親しかった故人の葬式に参列してよいものかどうか迷ってしまう。 
 しかし、家族葬も高齢社会の世相ともいえるだろうから、本音を唱え、俗世とオサラバするのもよかろう。
 昨今、高齢者の生活不安はつのるばかりで、思わぬところで、格差社会を覗き見して、戸惑ってしまう。
 定年退職して20余年も経てば、社会も世人間関係も違って当然だ。 
 9月半ばで、安倍首相の三期続投は決まったも同然だが、関空被害者・北海道地震厚真町の農業従事者対する国の援助対策には、心の温かさが感じられない。要は、人間味が感じられなかった。どうやら後期高齢者は、政府ともども、死ぬのを待っていられるのだろうた。実に悲しき現実だ。
 庶民目線で見れば、「坊ちゃん総理」が、いまさら何を言うかと言う反発感は否めない。
 やはり、総理大臣は、国民投票で決めるべきだ。
 一連の未曾有の災害で、高齢者が如何に心を痛めているか、忘れ去られている、福祉とい言葉を実践して欲しい。
 2020年東京オリンピックなぞ、即刻やめてもらって、災害の救助に当てて貰っても結構だ。やりたいのなら、競技場も聖火台も、そのまま再利用して欲しい。金メダルに浮かれている日本ではなかろうに・・・。
 1964東京オリンピックの開催が決まり、高度成長に日本全体が湧いた時代は、1964オリンピック開催を誰もが驚喜し、反対する庶民は少なかった。
 ギリシャのオリンピアの丘で聖火を採火、中東のイスタンブールから東南アジア各国を経由して鹿児島空港までの聖火リレーを、民放代表として 一人で撮影・取材した。
ギリシャの田舎道を虫の声と月明かりをたよりに、ヒタヒタ走者を追っての深夜の撮影を敢行した情景は、いまでも忘れられない。
 日本でオリンピックを開催するにしても、敗戦国だったドル制限のきびしい現実を背負った、貧乏な旅だった。
  
  2020年東京オリンピックに対しては、国民の殆どから、歓迎ムードが消え、しらけきっている。どうしてだろう。あの時代、日本国民は若く、明日への希望に満ち溢れていた。日本人の絆も強かった。しかし、いまの日本は、高齢化社会で、不安を抱きながら暮らしている庶民にとって、祝賀気分よりも、先行きの不安が大きい。
 規制緩和以降の格差社会は、平然と他人を蹴落とし、平気な顔をして暮らす日常があたり前になっている。
 蓮池のお釈迦様は、この世の人間模様を、どうご覧になっているだろうと、小説「蜘蛛の糸」を思い出す。
 派遣社会のリストラで、暮らしを奪われた人は、確実に根性が悪くなり、同僚を蹴落として勝ち組になろうと「蜘蛛の糸」に縋り付く。
  昨今の世俗をみていると終活もままならない。
 「昔はよかった」そして、戦後復興にかけた日本人たちは、もっと純粋だった。高齢者の思いを社会に投影するには、いったい、どうすればよいのだろうか。
            

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