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浜田山通信 №224 [雑木林の四季]

菅井きんさん、さようなら

                                 ジャーナリスト  野村勝美

 ものすごい暑さの8月もようやく終わった。超異常気象と台風による集中豪雨で西日本では何百人もの人が死に、熱中症でも多くの人が亡くなった。岐阜の民間病院では5人の老人がエアコン故障により死亡し、警察は殺人事件として捜査している。老人や障害者は世の中の厄介者になっている。九十歳の老人としてはひがみでなく、だろうなあとつくづく思う。
 女優の菅井きんさんガ8月10日に亡くなり報道されたのは23日だった。4年ほど介護施設に入っていて、葬式などは近親者でやった。藤田まことの婿殿を相手にした「必殺」シリーズに出演し、人気俳優になった。若い人には菅井きんも藤田まことも「誰それ」てなものだし、私など60以下のタレント、有名人はもう何者かわからない。
 8月28日の新聞に、「さくらももこさん死去/53歳/『ちびまる子ちゃん』//乳がんで」と社会面トップの大きな記事がでた。この人も亡くなったのは15日。国民的人気を誇ったという「ちびまる子ちゃん」は一回も見ていない。ただ「ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン」という調子のいい主題歌は何度も耳にして知っている。さくらももこさんも初耳だったが、53歳というのは何とも痛ましい。
 菅井きんさんはほとんど同世代である。同時に彼女は浜田山の住人だった。街のたべもの屋でよく見かけた。30年以上も前のことだったが、昔明大でフォークボールの神様杉下投手とバッテリーを組んでいたというとんかつ屋で「いつものあれ、あとでくるからお願いね」と声をかける彼女に会った。きさくな人だった。テレビを見ていたら、浜田山のうなぎ屋のおやじが、4年前にもらったものだと自慢げに「菅井きんさんえ」と染めた白い楽屋のれんをカメラに見せていた。「もう芝居やめたからもらってくれる}と持ってきたという。
 おとむらいの意味をこめて柏宮公園東側にある菅井きんさん邸の門前に立った。心の中で手を合わせご冥福を祈った。外壁は白、ガラス窓の広いおしゃれなお宅。表札には「三上、佐藤、菅井」とタテに書かれており、菅井だけが小さな字だった。三上は喪主の娘婿三上登氏、佐藤はきんさんの本名佐藤キミ子。
 27日夜、これまで経験したことのない雷雨があった。私は若い時から雷嫌いというより雷怖がりで家にいる時は耳栓をしてふとんにもぐり込んでいた。昔から”高井戸の雷”というのは有名だったそうで、それを知っていたなら浜田山に来なかったのにと後悔した。60年ほど前には夏場はしょっ中雷雨があり、近所の電柱のトランスを直撃したが、いつのまにか少なくなった。高井戸から調布、府中、八王子にかけて切れ目なく住宅が立ち並んだため、いわゆる雷道が変わったのだろう。ところが近頃の雷は、40度の高熱で発生した産地直撃の大雷雨らしい。雨は100ミリを超え、我が家の前の道路は排水溝の能力をこえたため10センチほども川のように水が流れた。井の頭線と京王線がストップ。もし都心部で集中豪雨になったら   などどうなるのだろう。

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