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シニア熱血宣言 №105 [雑木林の四季]

酷暑・災害列島

                         映像作家  石神 淳

 地球の温暖化が進行すると、地軸の傾きが変わってしまい、このような猛暑に見舞われるのだろうか。
 地球物理学に詳しいわけではないが、このところの異常気象は世界的な現象で、ただならぬ事態だ。
 石炭・原油・鉄・ダイヤモンド・非鉄金属など、人類は地球の資源を乱掘してきた。いま、地球は全人類に対し、地球規模の災害を頻発させることで、反省を促しているのではなかろうか。  
 
 子供の頃は、夏といえば炎天下をものともせず、田圃の中を流れる川で、日がな一日、魚取りで真っ黒に日焼けし、親の目をかわすのが日課であった。とうとう赤褌を取り上げられ、箪笥の中から、絹の反物を褌がわりに寸借し、こっぴどく叱られたものだ。絹の褌騒動は、隣近所から親戚まで知れ渡り、恥ずかしい思いをしたが、いまになって思い起こせば、バレないうほうが不思議で、悪ガキは、そこらじゅうに跋扈していた。
  思い返せば少年時代の自然は、人にやさしい存在で、大の仲良しだった。
 少々の台風で河川が氾濫することなどめずらしい事ではなく、堤防が切れたぐらいでは、人海戦術ですぐに復旧した。しかし、山が崩壊、冷蔵庫や洗濯機そして自動車までがゴロゴロ流れてくる昨今の災害では、住民の手では防ぎようもない。
 戦後の少年時代は、田圃に氾濫し、黄河のようになった稲穂の中を、悠然と泳いだもので、ドロ水の中でザラザラとした腕と股の感触を、いまでも忘れない。
 
  今年夏の西日本豪雨の被災の惨状は、人が築いた、道具に依存した暮らしが、いかに脆いものかを、思い知らされた。
 被害で泥まみれになった電気冷蔵庫や洗濯機などの廃棄物が築いた山は、腰を抜かすほどの猛威で、文明という基盤に乗せられた日々の暮らしは、いったい何だったのか、深刻に考えさせられた。
  かと言っても、被災を免れた我々老人には、為す術が見つからない。もどかしい思いを抱きながらニュースを眺め、電話器の前をとおるごとに、せめても西日本豪雨災害の『どらえもん募金』したが、なかなか繋がらない。せめて、一回毎に、二百円とか三百にならぬものだろうか。募金に応じた人々は、皆そう思っているだろに。
 大規模災害が発生する度、絶望的な被害を受けるのは、高齢者が多い。その胸中を思うと、居ても立っても居られない。高齢者の独り暮らしの側面には、孤立化を余儀なくされ、核家族化で、ていよく見捨てられた老人の姿が哀れだ。
 自分の立場に置き替えてみても、泣くに泣けない気持ちにで、先が見通せない。
 スーバー台風・火山の噴火・山火事・ダムの決壊・河川の氾濫・巨大地震など、見知らぬ地殻の中で何が起こっているのだろうか。
 大規模な自然災害が、明日にでも我が身を襲ってくかもしれない。いや、かならず襲ってくる。
 地球は怒っている。安全標語は、もはや神話にしか過ぎない。          
 

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