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私の中の一期一会 №170 [雑木林の四季]

      タイ洞窟の少年ら13人、18日ぶりに全員生還。奇跡の救出劇を振り返る
  ~この3連休、豪雨の被災地で1万8000人がボランティア活動の見込みとか~

              アナウンサー&キャスター  藤田和弘
 

 気象庁は今回の西日本豪雨の名称を「平成30年7月豪雨」と命名したと発表した。
 1983年7月に島根県を中心に死者100人以上を出した豪雨災害「昭和58年7月豪雨」以来の大規模豪雨災害である。
 今月6日に最初の「大雨特別警報」が出されてから15日で10日が過ぎようとしているが、日毎に増え続けた死者の数は197人になったと14日のNHK昼ニュースが伝えている。
 堤防の決壊で広範囲が浸水した岡山県倉敷市真備(まび)町地区では50人の死者を出し10人が行方不明になっている。未だに安否不明な方たちも少なくないので犠牲者の数はもう少し増えるとみられている。
 この地区では、一級河川の高梁川支流で堤防が決壊したため、アッという間の短い時間に濁流が住宅をのみ込んでいった。
 避難する間がなかったに違いない。亡くなった方々の80パーセントは自宅で遺体が見つかっている。そしてその大半が70代、80代の高齢者であった。
 広島県や岡山県、愛媛県など土石流や濁流などにのみ込まれた地域でも”逃げ遅れて”犠牲になった住民が多かった。
 住民らが撮影したその時の様子などをテレビのニュースで見ると、濁流や土石流が驚くほどの速さで押し寄せて、家屋などを破壊し水没させていく光景に愕然とする思いにさせられた。
 高齢の母親が、二階に避難する間もなく自宅の一階で溺死してしまったケースもあると知るとホントに悲しくなる。
 “今までに経験したことがない大雨”や震度7など“経験したことのない揺れ”に遭遇したら、災害弱者と言われる高齢者でなくても逃げ切れる保証はないのが実態だということが分かった。
 国土交通省の集計によると、13日までに公共施設などに被害を及ぼした土砂災害は31の道府県で618件に上ったことが分かった。広島県が123件で最も多い。次いで岡山、愛媛の順だ。
 広島、岡山、愛媛など各県の豪雨の被災地では14日、3連休の初日を迎えボランティア活動が本格化した。全国から集まった大勢の人たちは気温35度を超える酷暑の中、土砂の撤去や家の中の掃除、家財道具の片付け、支援物資の仕分けなどに奮闘している。
 新聞によれば、「同じ岡山県でこんな災害が起きるなんて!、被災した方々の負担をできるだけ軽減したい」という人・・
「今までボランティアに参加したことはなかったが、今回は力になりたいと思った」という人・・
「テレビで見た様子は私が知っている景色と全く違った。助けたいと思っている人たちがたくさんいることが地域に伝わればと思った」という人・・動機はいろいろだが、多くの人が駆け付けている。
 全国社会福祉協議会では、3連休に延べ1万8000人以上がボランティア活動すると想定している。
 ある住民は「まさかこれほどの被害になるとは思わなかった。現状を見て愕然としている。どれくらいすれば元通りに出来るか全くわかりません」と途方にくれていた。どの被災地でも同じ心境の人が多いに違いない。今は被災者への救援を急がねばねばならない。豪雨被害の全容が判明するのは、大分先の話しになりそうである。
 タイ北部チェンライ県のタムルアン洞窟に6月23日から閉じ込められていたサッカーチームの少年ら13人が全員生存していることが分かったのは7月2日であった。
 タイ海軍や警察が内部を捜索した結果、入り口から約5キロほど入った空間の岩場に13人全員が無事で生存していることが確認されたのである。
 11歳~16歳の少年12人と25歳の男性コーチの13人は先月23日、この日が誕生日だった少年と”神秘的な祈りの場所”で、かけがえのない時間を過ごそうとして洞窟に入った。
 13人は1時間ほどで戻ってくるつもりだったが、鉄砲水が発生したため、洞窟内を奥へ奥へ逃げざるを得なかった。
 まさか、戻れなくなるとは思っていなかったから、身軽な服装で食糧や飲料水などの用意はない。
 真っ暗闇の中にいて、時間が経てば昼夜も分からなくなる。
 洞窟の天井から落ちてくる水を手ですくって飲んでいたそうだが、飢えや不安、恐怖もあったに違いない。
 それが全員元気でいたのだから、まさに“奇跡の生存”として世界に伝わった。
 男性コーチは10年間僧侶だった経験から、洞窟の中で常に子供たちのことを最優先に考えていたという。
 発見されるまでの間、子供たちの体力が消耗しないように指示して、瞑想などを勧め、気持ちの安定を図った。説法などで少年らを勇気づけたとも伝わっている。
 少し持っていたスナック菓子もすべて子供たちに分け与え、自分は全く手を付けなかったそうだ。
 13人の生存が確認されてから、海外からのダイバーも含めて約2000人態勢の救出劇が展開された。
 洞窟内の少年らに食料を届けたり、医師の健康診断、潜水の訓練など救出の準備に時間をかけた。
 洞窟のある地域は7月に入ってからまとまった雨は降っていなかったが、7日夜に雷雨があり、8日も雨は降り続いた。9日以降も大雨の予報があったことから、雨水で洞窟内の水位が上昇する恐れもあった。
 洞窟内の酸素濃度も低下していて、救出開始はギリギリのタイミングで行われた。
 7月8日午前10時(現地)、タイ海軍特殊部隊のダイバーら5人が地下トンネルへの潜水を開始して、救出作戦が本格的にスタートした。救出方法の詳細については少年らの家族に説明され、了解を得ていた。
 救助隊員の報告によると、少年らは鎮静剤を投与され、眠ったような状態で担架に乗せられ、ダイバーからダイバーへと渡されて、曲がりくねった洞窟内を通り抜けたという。
 当初、最初の一人が洞窟から出てくるのは11時間後の、夜9時ごろと見込まれていたが、実際には夕方の5時40分に最初の一人目の少年が出てきた。100人を超す報道陣や少年の家族らから歓声が上がったのは言うまでもない。
 1日目の最後、4人目が出てきたのは午後7時50分だった。救出作戦は予想以上に順調だったことが分かる。
 7月10日夜、最後の少年4人とコーチが水路を潜り抜け、全員が脱出に成功して13人の救出作戦は無事終了した。
 タイ海軍は、奇跡なのか科学の勝利なのか分からないが、とにかく13人は洞窟から救出されたとフェイスブックに投稿している。
 チェンライ県の元知事ナロンサク・オサタナコーンさんは「誰も可能だと思わなかったことを成し遂げることが出来た」と胸を張って語った。
 難航必至とみられた救出作戦が成功した背景には、洞窟内の水位を下げることに成功した事が挙げられる。
 川の流れをせき止めて流れを変え、1日に3万2000立方メートルの雨水の流入を防いだのだ。
 ポンプでの排水も続けた。この結果洞窟内の浸水カ所の一部では歩けるようになっていたという。
 大量の水を汲み出したため、近くの水田が200ヘクタールほど被害を受けたが、「13人の為ならやむを得ない」と農家の人は口をそろえたという。不満の声は出なかったのだ。
 雨の多い雨季に洞窟に入るのは、軽率な行動だという非難の声はほとんどなく、むしろ支援の輪が広がっていたとBBCなどが伝えている。 
 少年らが全員救出されたことに世界から称賛と祝福の声が相次いだ。
 トランプ大統領もツイッターで「全員救助、グレイトジョブ、なんと美しい瞬間なんだ」とつぶやいた。
 2010年、チリ北部の鉱山で落盤事故が起きたことがあった。この時は救出作業に時間がかかり、作業員たちは2カ月以上も坑内奥深くに閉じ込められた。
 69日ぶりに生還した経験を持つ作業員のマリオ・セプルベダさん(47)も「とてもめでたい。救助された少年たち、助け出そうと努力した人たちにおめでとうを言いたい」と祝福のコメントを口にしている。
 少年たちは15日のサッカーW杯決勝をテレビ観戦するという。奇跡の全員生還を心から喜びたい。

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笠井康宏

藤田さん、おはようございます。残暑お見舞い申し上げます。タイの洞窟の少年達が救出されたニュースは大変喜ばしいのですが、救出に向かったダイバーが酸欠で死亡してしまったのが残念でなりません。西日本の災害で多くの犠牲者を出したのが星野仙一さんの故郷、倉敷。広島の災害は衣笠祥雄さん。偶然にもお二人の涙雨の様な気がしてなりません。ご冥福をお祈り致します。
by 笠井康宏 (2018-08-14 06:11) 

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