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私の中の一期一会 №165 [雑木林の四季]

    財務省が白旗!「次官の女性記者へのセクハラ行為はあった」と正式認定した
  ~“公文書改ざん”に“セクハラ次官”。不祥事連鎖もどこ吹く風?の麻生財務相~

           アナウンサ&キャスター  藤田和弘

 財務省の福田淳一事務次官が女性記者に“セクハラ発言を繰り返していた”というスキャンダルが“週刊新潮”で報じられ、ただでさえ瀕死状態の安倍政権が更に追い打ちをかけられる騒ぎに至っている。
 福田財務次官は、森友問題を取材する民放の女性記者らに「浮気しようよ」とか、「触っていい?」などと露骨な性的嫌がらせを繰り返したというから呆れたハナシである。
“ 公文書の改ざん”に加え“事務次官のセクハラ発言”は、霞が関に君臨する最強官庁の財務省が起こした不祥事の連鎖として国会に取り上げられている。
 その財務省は27日、セクハラ報道を受けて辞任した福田前次官について“テレビ朝日の女性記者へのセクハラ行為があった”とようやく正式に認定した。
 福田前次官は依然としてセクハラを否定しているが、財務省はテレビ朝日の主張を覆す証拠を示すことが出来なかった。
 事務次官を代行する財務省の矢野康治官房長は、「セクハラは女性の人権を侵害する行為で、許されるものではない」と述べて謝罪せざるを得なかった。
 テレビ朝日は、引き続き詳細な調査を要請すると共に「福田氏本人の謝罪を求める」とコメントしている。
 一連の不祥事で、私が一番不快に思っているのは麻生財務大臣の物の言い方である。
 内閣の一員としては勿論、財務省のトップとしても危機管理能力の乏しい人材であることが明白になったのではないだろうか。
 どうして物議を呼ぶような物言いしかできないのかと不思議に思うこと度々であった。
 18日頃だったと思うが、セクハラを受けた女性記者が名乗り出て調査に協力するよう求める財務省の対応に批判が集中したことがあった。
 この時、麻生大臣は「本人が出てこなければどうしようもない」という見解を口にした。
「名乗りにくい事情があるのでは?」と報道陣から問われ「言われている側の立場も考えないといけない。福田の人権はなしという訳ですか?」と不満げな応答であった。加害者擁護しか頭にないのが分かる。
 24日には「週刊誌の報道だけでセクハラがあったと認定し、それで退職金を減額というのは如何なものか。」と言ったあとに「はめられて訴えられているのではないかといったいろいろな意見がある」と述べたのだ。口が滑っただけとは思えない。週刊誌に持ち込んだ被害者が悪いと非難しているようにみえた。
 財務省側は「大臣自身の見解を申し上げたものではない」などと庇っていたが、どっちもどっち、お粗末である。
 こうした麻生発言は、“加害者は福田次官だ”ということを忘れているに等しい訳で、当該大臣の発言としては不適切なのではないだろうか。
 ある弁護士によれば、これはやはり問題発言で“暗に被害者に圧力をかけていることになる”と解説してくれた。名乗りにくい被害者に無理を押し付ける“暴力的構造だ”と見なされるのだ。
 政府は27日、政府のセクハラ対策として、政府高官の担当記者から女性を排除することは「妥当なことであるとは考えていない」とする答弁書を閣議決定した。
 何故こんな答弁書を閣議議決定しなければならなかったかというと、麻生氏が「次官の番記者をみんな男にすればいい」と口走ったからなのだ。
 この発言を知った立憲民主党の逢坂誠二氏が質問主意書を提出したため、官僚は余計な作業をしなければならなかったに違いない。働き方改革をしてもらいたいのは官僚諸氏のほうだったりして・・・
 答弁書には「報道は麻生氏の政治家個人の活動に関するもので、答える立場にない」となっているそうだ。菅官房長官は苦虫を噛み潰しているのではないか。
 それにしても、公文書改ざんやセクハラ次官と、スキャンダル連発もどこ吹く風、「俺が改ざんした訳じゃねえ、セクハラした訳じゃねえ、」と言わんばかり。一向に責任を取ろうとしない麻生大臣の不遜な態度は下品であり、無礼である。
 “昭和期を知っている世代”には、現代のセクハラ事情は馴染めないのではないかという説があるのを知って、遅ればせながら「セクハラとは何か」を考えるべきだと思ってちょっと調べてみた。
 1989年、福岡県の出版社に勤めていた女性が上司を相手取り、セクハラを理由に民事裁判を起こした。
 それが日本初の“セクハラ裁判”であった。
 職場を舞台にして、上司と部下の間に起きた事件には、どこにでも起こり得る普遍性があったことから、この裁判は注目されたようだ。
 日々何気なく接している女性たちに対する発言や行為が、“セクハラ”になるという認識を、あの頃の私は全く持っていなかったように思う。
 だから、その年1989年の新語・流行語大賞の新語部門で「セクシャルハラスメント」が受賞していたと知った時はビックリした。
 「セクハラ」という新語は一過性の流行語で終わることはなかった。90年代には、立派に日本語として定着していた。
 セクハラとは「性的嫌がらせ」をされることである。男性が女性の胸やお尻に触る“身体的接触による嫌がらせ”などが代表的なセクハラだと言えるだろう。
 “言葉による嫌がらせ”が「セクハラだ」となるのもよくあるケースだが、同じ言葉でも“気になる人”と“気にならない人”がいるので“セクハラにならない”ケースがあるというから難しい。
 セクハラとは嫌がらせを受ける側、つまり“被害者の問題なのだ”ということが分かった。
 世の中のセクハラに対する風当たりは厳しくなるばかりで、職場でセクハラに関わりなく過ごすことは難しい世の中だそうだ。
 しかし、セクハラをする側もされる側も「何がセクハラか」や「何処までがセクハラか」などを明確に分かっていないことだというから困ったものだ。今後もセクハラ騒動は絶えることなく続いていくだろう。
  
 韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩委員長が27日、軍事境界線のある板門店の平和の家で「歴史的な南北首脳会談」を行った。
 その結果、「完全な非核化により、核のない朝鮮半島の実現という共通の目標を確認した」という「板門店宣言」に両首脳が署名した。
 板門店宣言には、1953年から休戦状態にある朝鮮戦争の終戦を今年中に目指すことも含まれている。
 同時に、韓国、北朝鮮、アメリカ、中国による多国間の枠組みで、平和体制の構築を協議する方針を示したと新聞も伝えている。
 日本政府は、南北首脳会談の合意をある程度評価はするが、北朝鮮の非核化や拉致問題の解決に向けた道筋が見えたとは言えないとして警戒を緩めていない。
 いずれにしても、非核化の成果は、6月までに行われる「米朝首脳会談」が終わってからになる。
 「日本が蚊帳の外に置かれてしまう危険はないのか?」と聞かれた安倍首相は「それは全くない」とハッキリ答えたというが、不安は拭えないのではないだろうか。何しろ関係国の中で、北朝鮮と協議できない状況にあるのは日本だけなのだから・・
 


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笠井康宏

藤田さん、おはようございます。セクハラ発言は録音されていますから、惚けても無駄です。麻生氏も退場が良いと思います。男尊女卑を公に発言していますね。みっともありません。
by 笠井康宏 (2018-05-02 04:44) 

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