SSブログ

雑記帳2018-5-1 [代表・玲子の雑記帳]

2018-5-1
◆前回の飯田橋に引き続き、神楽坂を歩きます。

4月初めに、満開をすぎたとはいえ、まだ桜花の散り残る江戸城外堀を歩いてから3週間後、周囲はすっかり葉桜になった季節に神楽坂を巡りました。

JR飯田橋駅の西口を出て、堀を渡る牛込橋の建設にあたったのは阿波徳島の蜂須賀忠英(ただてる)、初代小六から数えて3代目にあたります。橋のたもとの置き石をよくみると「はちすか」の文字が見えます。堀の川幅は当時の弓矢の届かない距離でした。

牛込橋石垣.jpg

牛込台地に開かれた何本もの坂道の中でメインの通りが神楽坂通りです。今、観光客に人気のスポットは、多くのショップがならびます。ここは3代将軍家光のお気に入りの大老、小浜藩主酒井若狭守の屋敷があったところです。ここから毎日、牛込橋をわたって若狭守は江戸城に出勤、橋までの1kmが登城道として整備されたのでした。江戸城内で火事にあった家光が長期にわたって酒井家に逗留した折、警護のために屋敷に矢をめぐらせたことから矢来町の地名になりました。

外堀は防御のためだけではなく、江戸の物資輸送の手段にもなりました。さすが江戸の街づくり、幕府は神田川から運河を引き込み、牛込橋手前に湊を作ったのです。全国から江戸湾に集結した荷船は、大川(隅田川)に入り、柳橋から神田川を上って神楽河岸へと運ばれました。荷揚げされた物資を人足が籠にせおって運んだ軽子坂は神楽坂通りの1本東の坂です。町名に揚場(あげば)が残っています。上方から運ばれた品々は「くだり物」と呼ばれて重宝されました。逆に江戸から送られる物品は「くだらない物」でした。たがて、「くだらない」物も年月かけて品質をあげ、「くだる」ものをしのぐまでになりましたが、言葉だけは残りました。

神楽坂は狭いエリアにたくさんの路地があります。有名なかくれんぼ横丁は、かくれんぼをして遊んだというより、前を歩いていた人がこの横丁にある料亭に入ると、突然目の前から消えてしまうことから定着したといわれています。神楽坂の料亭は夜の国会と呼ばれたこともあり、大臣の取材にはりこんでいた記者たちの目もくらませたのでした。

かくれんぼ横丁2.jpg
かくれんぼ横丁
うを徳黒.jpg
料亭「うを徳」の粋な黒塀

軽子坂を上っていくと、石畳の路地があります。鎌倉古道と兵庫横丁の交わるところは神楽坂で最もインスタ映えのするスポットだそうです。和可奈はその昔、女優の木暮実千代の妹さんが経営、作家や脚本家、映画監督が執筆のため投宿していたことで知られています。「ホン書き旅館」と呼ばれました。

兵庫横丁.jpg
兵庫横丁石畳.jpg
鎌倉古道の石畳
兵庫横丁和か菜.jpg
「和可奈」

人口100万の江戸は当時世界一の大都会。そのうち町民は25万人ほどでした。参勤交代で江戸にやってくる侍はもちろん単身赴任とあって、江戸は圧倒的な男社会。人口の男女比では女性は2割をきっていたようです。幕府は吉原や四宿の遊郭を公認しましたが、公認ではなくとも、寺社の門前には多くの岡場所がありました。天台宗行天寺の門前にも赤城神社と共に門前には岡場所があり、それが神楽坂花柳界発症の地と言われています。行天寺の跡は今は寺内の名前のついた公園になっています。

寺内公園.jpg
寺内公園

律令の時代、この地は牛の放牧地でした。馬の放牧地が馬込の名前に残ったように、牛込の地名になったのです。家康が江戸を開く前、ここには小田原の北条氏に仕えた牛込氏の居城がありました。牛込氏は群馬県赤城の出で、大胡氏を名のっていましたが、13世紀に南関東に進出して牛込に改名、牛込城を築きました。北条氏滅亡のあとは徳川家臣としてつかえました。北条氏の前は上杉だったと言いますから、変わり身の早い人だったようですね。戦では落城しなかったものの、台地の上から川の向こうの江戸城を見降ろすのはよろしくないと、城はこわされて牛込氏は転封、あとに光照寺が神田から移って来たというわけです。

地蔵坂にある光照寺は牛込城の本丸跡です。毘沙門天脇の大手門通りは、本丸に通じる道で、この先に大手門があったと伝えられています。また、毘沙門天前の小さな通り、兵庫横丁は。先の鎌倉街道と牛込城の城下町をつなぐものでした。

光照寺はもともとは神田にあったものが、天保2年に移転、出羽国松山藩主酒井家の菩提寺になりました。今は小さな寺ですが、境内には歴代の藩主の墓があり、墓の好きな人にはなかなか見ごたえがあります。

光照寺3.jpg

神楽坂通りにある善国寺の本尊は毘沙門天。江戸三毘沙門天に一つとして信仰を集めました。狛犬は犬ならぬ虎で、「石虎」は立派な尻尾をもっているものの、顔は猿に近く、当時、実際に虎を見た人はいなかったのです。

毘沙門天2.jpg
毘沙門天
毘沙門天寅狗.jpg
石虎

神楽坂には「熱海湯」という、立派な銭湯があります。芸者さんたちは出勤前とお座敷がはねた後の2回通う銭湯はかかせません。最盛期には700人、現在でも30人余の芸妓を抱える神楽坂にあって、「熱海湯」は繁盛しているのです。まだ店を開ける前の風呂場をみせてもらいました。

熱海湯3.jpg
定番の富士山の絵がある浴場
熱海湯5.jpg
ふろあがりに飲むコーヒー牛乳などの飲料も定番
熱海湯4.jpg
脱衣場の立派な格天井

坂ばかりの界隈は狭いながら結構、きつい。お昼は毘沙門天近くの、坂の上のテラスと自称する「縁香園」で中華料理をいただきました。

ランチ6.jpg
ランチ7.jpg
ランチ9.jpg

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。